ネオン輝く歓楽街。そのネオンの放つ猥雑な光が創り出す影は、夜の闇よりなお暗い。
俺の勤める店は、そんな暗がりの中でさらにひっそりと隠れるようにある。
男が男に身体を売る店。
この辺りは新宿二丁目みたいにメジャーな歓楽街とは違うけど、こういう系統の店は何軒かある。
その中で俺がこの店を選んだ理由は、店名が気に入ったからだった。
『ナイトメア』
それがこの店の名前。
明ければ覚める一夜限りの悪夢を売る店。
どんな痴態も醜態も、朝日を浴びれば消えてしまう。
そんな刹那的な儚さが、自堕落な俺にぴったりだと思ったんだ。
両親の離婚で家族はバラバラ。帰る家はない。
学歴は高校中退で、何の資格も持ってない。
こんな様じゃまともな職なんて有りやしない。
だけどそれをどうこうしようという気力もない。
明日どころか今日さえもどうでもいい。ただ一時の快楽と金だけを求めていた俺が、この店にたどり着いたのは自然な成り行きだった。
そして俺は、今日もそんな悪夢の扉を自ら開く愚か者を極上の作り笑顔で迎える。
「幸介さん!」
入ってきた客の顔を見るなり、俺はそれまで座っていた席を離れて素早く駆け寄った。
他のボーイも、新規の客なら自分の物にしようと扉が開くと一斉にそっちを見る。
だけど、彼は俺の客だ。
誰かの馴染み客でも隙あらば奪ってやろうと虎視眈々と狙ってる奴らも、彼には手を出してこない。
彼は俺しか指名してこないどころか、俺が居ない日は店にも入らず帰ってしまうんだからから手の出しようがないんだ。
今夜はまだ客が付かず、手持ち無沙汰で壁に寄りかかって雑談していた他のボーイ達のヤジと嫉妬の目を無視して、俺は今来た客―― 牧原幸介(まきはら こうすけ)の胸にしなだれかかった。
「また来てくれたんだ。忙しいって言ってたのに……嬉しいな」
「あ、うん。その……週末だから……だから、その……翔君に会いたくなって……」
悪夢の住人に名前はない。
翔(ショウ)というのは自分で勝手に付けたここでの通り名。
本名なんて、もう長いこと誰にも呼んでもらったことがないから、忘れてしまった。
――それはともかく、俯いて恥ずかしそうにぼそぼそと何やらよく分からないいい訳を呟く幸介さんの腕に腕を絡めて、薄暗い店内の空いているボックス席へと導く。
ここはカウンターに10席と、ボックス席が5つ有るだけの小さな店。
店子(ボーイ)は比較的若い子が多いけど、オネェや女装子は居ないから結構地味。
カラオケもないしこれといった売りのない店だけど、逆にそれが静かに酒と男を楽しみたいと言う客を集めていた。
だけどこのところの不況の影響で客足は落ち込んでいる。
こうやって定期的に来てくれる客は絶対に逃がしたくない。
席についても俺は幸介さんの腕を放さず、足を絡ませるようにして擦り寄った。
「ごめんね。今、忙しかったんじゃないの?」
「いいのいいの。あの人あんまり好きじゃないから。……幸介さんの方がずっと好き」
自分が来るまで俺が他の接客をしていたことに気付いて謝ってくる幸介さんの肩に手を置き、内緒話にかこつけてしなだれかかるように耳元に唇を寄せてこっそり囁くと、彼は薄暗い店内でもそれと分かるほど赤くなる。
なんて扱いやすい人。俺はニンマリとほくそ笑んだ。
だけどこれは本当のこと。
あんな金もくれずにベタベタ触りまくってくる奴より、大人しく座ってて話すだけですむ幸介さんの方がずっと好きさ。
俺に逃げられた客も、両サイドをあぶれていたボーイのレイとトシキにはべられてそれなりに機嫌を直したようだ。
レイもトシキも客あしらいは上手い。あっちは彼らに任せて、俺は幸介さんの接客を始める。
「何を飲みます?」
「翔君は何が飲みたい?」
「じゃ、サイドカーを2つ」
俺は手を挙げてウェイターのナカさんを呼ぶと、さっさと注文を通した。
「あ、僕はウーロン茶で……」
「どうして? 付き合って。乾杯しよ?」
無邪気を装い身体を寄せて甘えて酒を勧める。あまり酒に強くない幸介さんは、こうでもしないとあまり飲んでくれないんだもん。
幸介さんがこの店に来るようになったのも、彼が酒に弱かったのが原因だった。
会社の同僚とこの辺の店で飲んでいて、と言うか飲まされて、あまり酒に強くないらしい幸介さんは酔っぱらって気分が悪くなり、酔いを覚まそうと喫茶店を探していたらしい。
それでどうしてこんな店に行き着いたのかというと、この店は雑居ビルの地下にあって、上の1階部分は喫茶店だったからその喫茶店の看板に惹かれてやって来たんだ。
だけど喫茶店が営業をしているのは夜の7時までで、とっくに閉まっていた。
そうとは知らずに近付いたところを、入り口付近で客引きをしていたうちの店の連中に引きずり込まれ、カモにされそうになっていた。
俺も酔っぱらいに適当にサービスして金を巻き上げることはあるけど、どう見てもノンケで、しかも青ざめて気分が悪そうにしてる奴からまで毟る気にはなれなかった。
だからウーロン茶を2杯ほど飲ませて適正料金をちょうだいしてから、タクシーの拾えるところまで連れて行ってやった。
こんなこと翌日には忘れているだろうと思ったのに、幸介さんは次の日に律儀にお礼を言いにやって来たんだから驚いた。
素面で来て、この店がただ酒を飲ますバーじゃなくゲイバーだと分かったようだけど、それでもそれから足繁く通ってくるようになった。
とはいえ、彼は男に興味があるわけじゃ無いらしく、店に来ても俺の身体には一切触れようとせず、ただ一方的に何やら小難しい話をしては満足して帰って行く。
始めに渡された名刺によると―― こんな店のボーイに名刺を渡すなんて命知らずもいいとこだと思うんだけど、彼はこの辺りでは結構有名な大手企業の研究室で働いているらしく、話の内容は専門用語ばかりでさっぱり分からないが適当に聞いてたまに相槌を打つだけでいいから幸介さんの相手は楽でよかった。
俺としてはただうんうんと頷いているだけで彼の話しの内容なんてさっぱり分かってないんだけど、彼にとってはちゃんと話を聞いて貰えるってことがとても嬉しかったらしく、すっかり俺のことを気に入ってしまったらしい。
幸介さんは基本ノンケなんだろうけど、こうしてこの店に通ってくるからには男にも興味が無くはないんだろう。
俺は客からのリクエストで何度か女装したことがあるんだけど、かなり可愛いくて本物の女の子みたいになった。
ノンケの男でもその気にさせることくらい出来る。
だから何なら女装してもいいんだけど、そんな事しなくても彼は俺のことをすでにかなり意識しているようで、見つめれば赤くなるし膝に手を置いてやればキョドる。
女の人に相手にされないから男に走るってパターンか、元々素質があったのが目覚め始めたのか。
幸介さんはひょろりと細長く猫背気味な体型はイマイチだけど、顔の作りはそんなに悪くない。
でも服装は大手企業勤めだけあってスーツにはお金をかけてるみたいだけど正直似合ってない上に、眼鏡は今どきどこで買ったのかと思うほど大きなレンズの銀縁眼鏡。おまけに頭はボサボサの髪をちょっとなでつけただけという感じのまるきりの無頓着ぶり。
話も堅苦しくて小難しい内容ばかりだから、女性から敬遠されるタイプ。積極性も無いし、もう二十代後半みたいだけど彼女居ない歴=年齢なのは間違いない童貞だろう。
そんなこんなでもうこの際、男でもいいと割り切ったのかもしれない。
まあ何にせよ、俺にとっては稼がせてくれそうな金づるであってくれればそれでいい。
こっちだって何もしないで金を取ろうってわけじゃないんだから、いいよな。
この店の給料は歩合制だから指名されれば少し上がるけど、そんなのは微々たるもの。
しょっちゅう来てくれるのは嬉しいけど、店で飲んでくれるだけじゃ大した儲けにはならない。
もうそろそろ稼がして欲しい。
まずは幸介さんをその気にさせるのにエロい話でもしてみる事にして、俺はネタ振りにさりげなく自分の左腕を何度かさすった。
「腕をどうかしたの?」
「あ、ちょっと腱鞘炎。って程じゃないけど、腕が痛くって」
早速引っかかって心配げな表情をする幸介さんに、ちょっと陰りのある笑顔を向ける。
「え? 大丈夫? どうしたの?」
「片手で腕立て伏せを……ね」
「へぇ、翔君ってスポーツが好きなんだね」
「スポーツって言うか……昨日の客にフェラを1時間もずーっとさせられて。でも、インサート無しで二万円くれたんだから、それぐらいはやらなきゃね」
「え? あ! ……そうなの。あ、でも……その、それで、何で……その、腕が痛くなるの、かな……?」
幸介さんでもフェラチオがどういうものかって事くらいはさすがに分かるみたいだけど、それでどうして腕が、しかも利き手と逆が痛くなるのかが分からないらしい。
そこで俺ははにかみながら、テーブルに俯せになって右手をアレに添えながらもう片方の手で自分の身体を支えながらの上下運動―― まあ片手腕立て伏せと言ってもいいだろう。そんなフェラのポーズを再現しながら、軽く口を開けて咥えてる恰好で幸介さんを見上げた。
「あ、あ、へーぇ。そうなんだ。それは、大変だったんだね」
幸介さんは思いっきりキョドりながらも平静を保とうとしたのか、テーブルに置かれたサイドカーを一気に飲み干した。
サイドカーは口当たりがよくて飲みやすいけど、ブランデーベースだからアルコール度数は結構高い。
酔いは理性を飛ばしてくれる。いい感じじゃないか。
「うん……でも、これが俺の仕事だから。こうでもしないと……俺、他には何にも出来ないから」
俺は自分の企みをおくびにも出さず、これはあくまでも生活のためで好きでやってるわけじゃない風を装うと、幸介さんは眉を寄せて同情だか哀れみだかの眼差しで俺を見る。
いいねいいね。可哀想な人に見られるのは好きだ。
同情は上手く操れば金になるから。
「翔君は何で、その……この職業に就いたの? あ! その、この職業が悪いってわけじゃないんだけど、そんな……その、色々大変そうなのに……」
「高校中退の半端者に職業選択の自由なんてそうそう無いんで」
たまにむちゃくちゃなことをしてくる客もいるけど、もうそんな客のあしらい方も覚えた今ではここは楽して稼げるいい職場だ。
もうセックスごときで心も身体も痛みはしない。今更まともなとこに就職なんて考えらんない。という本音は隠してしおらしく俯く。
「え? どうして高校やめちゃったの? 君、頭がいいのに」
「頭がいいって……」
見え透いたお世辞に苦笑いする俺に、幸介さんはお世辞じゃないというように首を振った。
「だって君、受け答えが早いし的確だし。それって頭の回転が早い証拠だよ。頭の回転は学歴とかと関係ないよ」
「幸介さんってば、ホントに優しいね」
「え? いや、別にそんな……」
俺のお世辞に、幸介さんは素直に照れて俯く。本当に、なんて扱いやすい人。好きだなぁ。こういう単純バカ。
「幸介さんだったら……いいよ」
「え?」
「幸介さんになら何でもしてあげる。俺も……生活あるから、ただでって言うのは無理だけど……」
「え? え? あっ! そ、それはつまり……そのっ、僕と……って? あの、ええ? 本当?」
「ごめんね。変なこと言って。迷惑だよね。俺なんかとじゃ……」
少し寂しそうな表情で、だけど笑いながら明るく言うと幸介さんは慌てて俺の言葉を否定する。
「いや! いや、そんな。僕は……僕こそ! 僕なんかで、本当に、その翔君は……いいの?」
おずおずと、しかししっかりと俺の手を握りしめながら問いかける幸介さんに、俺はうつむき加減で小さく頷くと、幸介さんの胸にしなだれかかった。
「俺を、ここから連れ出して」
胸に頬をすり寄せながら見上げると、アルコールのせいだけではなく首まで赤く染めた幸介さんは、ごくりと生唾を飲み込みそのまま言葉もなく何度も頷いた。
マジで楽勝だね。
「でも、あの、連れ出すって、どこへ?」
「俺の知ってるホテルでいい?」
「ホ、ホテル……うん! うん、いいよ」
俺はカチコチに固まったロボットみたいな歩き方の幸介さんの腕にべったりとしがみつき、他のボーイや客の冷やかしを背にふたり仲良く店を出た。