だから 側にいてあげる -2-

 店から程近い行きつけのラブホテルは、繁華街の中にあるから週末の夜ともなると満室で待たされるときもある。
 だけどやっぱり不景気の影響か、今夜は土曜日なのに結構空室があった。
 ここは各部屋で内装が違い、入口を入ってすぐのフロントにその室内の写真がパネルで表示されていて、そこから部屋を選べるようになっている。
 まあよくあるタイプの普通のラブホテル。
 でもラブホテルなんて多分というか絶対初めてだろう幸介さんに簡単に説明しながら、どの部屋がいいか一応はお好みを訊いてみる。
「部屋によって色々設備が違うんだけど、どの部屋にします? 明かりが付いてるパネルが空いてるところなんで、そこから選んで」
「あ、そうなんだ。えっと、その、どこでもいいというか……どう違うのかよく分からないから……」
「じゃあ、この部屋でいい? この部屋はお風呂がね、すっごく広いんだー」
 予想通りの幸介さんの答えに、これ幸いと俺は泊まりの時によく利用する部屋を選んだ。
 客や利用時間に合わせて部屋を選ぶのも、意外と大事なことなんだよね。
 俺はさっさと選んだ部屋のボタンを押してカードを取ると、どうすればいいのか戸惑っている幸介さんの腕にがっしりと腕を絡めて部屋へと向かった。


 俺が選んだのはデカいバスタブ付きの広いバスルームが売りの部屋だったんで、部屋に入るなり俺はバスルームに直行してお風呂の準備をした。
 デカいバスタブはお湯を張るのに時間が掛かるのが難点なんだけど、それでもそれを補ってあまりある利点があるから仕方がない。
 とにかくサクサクと準備を整えると、居心地悪そうに入り口付近に突っ立ったまま俺のすることを目で追っていた幸介さんの腕を掴んでバスルームの入口付近まで連れていく。
「あの……前払いで、もらえますか?」
「あ、そうなんだ。ちょっと待ってね。でも本当に……その、一万円でいいの?」
 まずは貰う物を貰っておかないと落ち着かない。上目遣いで遠慮がちにだが「一万円寄こせ」という意味で人差し指を一本立てた俺に、幸介さんは上着の内ポケットから財布を取り出しながら、俺よりさらに遠慮がちというか申し訳なさそうな様子で訊いてきた。
 変なプレイを要求したりしたら初回の客でも遠慮無く追加料金を請求するけど、幸介さんは別だ。
 長くお付き合いしたいタイプだからサービスしちゃう。
「もちろん。でも、あの……ホテル代もお願いしたいんですけど……いいですか?」
「それはもちろん、僕が出すよ。あの、でもホテル代って……チェックアウトの時でいいのかな?」
「うん。帰るときに精算機に入れればいいだけだけど、俺がやるから幸介さんは何も心配しないで」
 システムが分からないことが不安なのか、おたつく幸介さんから必要な額だけお金を受け取ると、俺は幸介さんの服を脱がせにかかった。
「幸介さんは何にもしなくていいんだよ。全部、ぜーんぶ俺がやってあげるから。さ、お風呂に入ろ」
「あ、あの、服くらい自分で…… え? 入ろって、え? 入るって、一緒に?」
「嫌なの? 俺と一緒にお風呂入るの」
「あ、その、嫌なんじゃないよ」
 バスルームでプレイできないんじゃ、この部屋を選んだ意味がないじゃないか。
 この部屋のバスルームはマットにスケベ椅子付きで、ソープランドごっことか色々とバスルームでのプレイが出来るんだ。
 とはいえ、別に俺がその手のプレイが好きというわけじゃない。
 ただ泊まりの時はなるべくベッド以外の場所でして、綺麗なベッドで寝たいだけなんだよね。
 犯るだけの時ならどうでもいい事だけど、やっぱり泊まりの時は清潔なシーツで寝たい。
 だから俺としては一緒にお風呂に入ってくれないと困る。何とかしてその気にさせなきゃ。
「やっぱり……無理に誘って迷惑だった?」
「ち、違うよ! そんなわけないじゃない!」
 うろたえる幸介さんをちょっと不安げな顔をして見上げれば、幸介さんはさらにうろたえながら両手を振って否定する。
 これからセックスしようって相手と一緒にお風呂に入るのの何が嫌なんだよ。
 もう勃っちゃってて恥ずかしいとか? と思って幸介さんの股間をちらりと盗み見てみたけど、そういうわけではないみたい。サイズに自信がないから見られたくないのか、ただ単に俺に裸を見られるのが恥ずかしいのか。
 どっちにしろ使うところは出さなきゃいけないんだから、さっさと脱げよ。
 俺は内心のいらつきを隠し、可愛い笑顔と仕草で幸介さんのネクタイを引っ張って引き寄せ、おでこがくっつきそうなほど顔を近づけた。
「じゃあいいでしょ? ね? 早く脱いで」
「でも、そのっ、いきなりそんな……ちょっと、その、酔いを覚ましたいな、なんて。だから、あの、翔君が先に入ってくれる?」
 そうきたか。
 幸介さんがお酒に弱いっていっても飲んだのはたかがサイドカー一杯だけだし、顔も赤いけどそれはもう酔いじゃなく照れからだろう。
 だけど、ここまで言われて無理に引っ張り込むわけにもいかない。俺は仕方なくひとりでお風呂に入ることにした。


 バスルームでするという予定は狂ってしまったが、ここから俺のペースに持ち込んでやる。
 意気込みも新たにバスルームを出ると、幸介さんは大きなダブルベッドに身を縮めるようにちょこんと腰掛けて、ここに入る前に買ったペットボトルの烏龍茶を飲んでいた。
 どうやら一緒に入るのは恥ずかしいってだけじゃなく、酔いを覚ましたいというのも嘘じゃなかったみたいだ。
「ふー、いいお湯だったー」
 俺が出てきたのに気付いて立ち上がった幸介さんの前で、俺はバスローブの前を大きく広げてパタパタと風を送って涼む振りをして誘う。
 計算尽くの俺の行動に、幸介さんの目は素直に開いた胸元に釘付けになった。
 女みたいにふくらみも何もない男の胸でも、普段隠れている物がチラッと見えるというのは男心をくすぐる物らしい。
「幸介さんが入ってきてくれるかと思って待ってたのに」
「え? そんな……そ、そうなの? ごめんね」
 上目遣いでちょっと拗ねたように言うと、俺のサービストークを真に受けた幸介さんは素直に謝ってくる。
 まあ本当に入ってきてくれたらバスルームで出来てありがたかったから、そういう意味では待っていたといえるけど。
「幸介さんも早く入ってきて」
「うん。うん。すぐ、入ってくるから! 待っててね」

 嬉しそうに何度も頷きながらバスルームに向かった幸介さんを見送ると、俺はベッドの上に脱ぎっぱなしになっていた幸介さんの上着を手に取ってみた。
 それはイタリアのブランドの物で、縫製もしっかりしてるしスタイルがよく見えるようにウェスト部分がちょっと絞られていたりして、手が込んでて格好良かった。
 でも、幸介さんには似合ってないんだよね。
 幸介さんが細すぎるせいか、それともスーツの色が淡すぎるせいかな? なんて思いつつ、俺は内ポケットを探って幸介さんの財布を抜き出した。
 別に金をくすねようというわけじゃない。
 さっきチラッと見たとき結構入ってるみたいだったから、いくらぐらい持って歩いているのか見てみたくなった、ただの好奇心だった。
「わーお」
 財布を開いたとたん、その厚みに思わず声が出てしまった。
 幸介さんの見るからに高そうな黒いヌメ皮の長財布は、小銭入れの付いていないお札とカードが入るだけのスマートタイプで、その中にみっしりとお札が詰まっていた。
 千円札も何枚かは入ってるけど、これは三十万近く入ってるよね。現金払いの主義なのかと思ったけど、クレジットカードも何枚か入ってるし、何なんだ? こんな物を無造作に置いておいて、このまま持ち逃げされたらどうするんだよ。
 なんて思ったけど、幸介さんが財布を持ち逃げされたところで俺には関係のないことだし、中身を見て満足した俺は元のように上着の内ポケットに財布をしまって、その後ハンガーに掛けておいた。
「しっかし、おっそいなー」
 別にこっちみたいに準備が必要なわけじゃないだろうに、何をもたもたしてるんだろう。さっさとシャワーだけ浴びて出てくればいいのに。
 俺が入ってくるのを待ってるのかとも思ったけど、待っててって言われたしなー、と思いつつボーッとベッドに腰掛けてバスルームの方を見ていると、磨りガラスの扉にシルエットが近付いてくるのが見えてた。
 幸介さんはやっとお風呂から上がってきたらしい。
 待ちくたびれてちょっと悪戯心を起こした俺は、ベッドに入るとシーツを引っ被って寝たふりをしてみた。
 こんな状況で幸介さんがどんなリアクションを取るのか見てみたくなったというか、すーぐ困った顔をする幸介さんをすごく困らせてみたくなったというか。
 とにかく、ちょっとした悪戯のつもりだった。
「……翔君?」
 扉の音の後に、不安げな声で小さく俺を呼ぶ声がした。
 シーツを被ってるから姿が見えなくて、どっかに行っちゃったと思ったのかな? ここに居るよという意思表示に、俺はシーツにくるまったまま、もそっと身じろいでみた。
「あ、あの……翔君?」
 それでベッドにいると気付いたのか、幸介さんの声と気配がこっちに近付いてくる。
「ん……うん……」
 俺はなるべく自然に、だけどとびきり可愛い天使の寝顔を演出しつつ、寝返りを打って顔をシーツの外に出した。
 キスでも何でもお好きにどーぞ。って状況なんだけど、何も起きない。
 薄目を空けて様子を見たいけど、顔を見られてるだろうからたぬき寝入りがバレてしまいそうでそうもいかない。
「やっぱり、疲れてたんだね」
 目を閉じて寝たふりをしながら気配だけで幸介さんの動向を窺っていると、口の中で呟くような微かな声が聞こえて、俺の髪に触れようとしてやめたのか、頭のすぐ近くまで近付いた気配はそのまますっと離れていった。
 それでどうする気かな? と思いながら寝たふりを続けていると、いったん離れたと思った気配が後ろから近付いてきた。
 俺の後ろの方がスペースが空いてるからか、幸介さんはわざわざぐるりとベッドを回り込んで反対側からベッドに入ってきた。
 その動作がやたらスローなのは、俺を起こさないように慎重に動いているかららしい。
 ベッドが軋む度に一々動きを止めて、俺が起きないか覗ってるっぽい。
 それで、この後どうするんだろう。このまま寝たふりしててあげた方がいいのか?
 意識のない相手を好きにしたいから動くな、寝たふりをしてろなんて要求する人もいるし、幸介さんは恥ずかしがり屋みたいだから寝たふりをして好きにさせてあげた方が喜ばれるかも。
 それならそれで何もしなくていいから楽でいいな、なんて考えていたんだけどいつまで経っても幸介さんは次の動作に出る様子がなかった。
「幸介……さん?」
 今まで眠っていた風を装い、寝ぼけた声を出しながらちょっと体を起こして後ろを振り返ってみると、幸介さんは遠慮がちに枕の端っこに頭を乗せて目を閉じていた。
 じっと見ていてもまるで動かない。いや、呼吸に合わせて規則正しく肩は小さく上下してるけど、それだけ。
 この人、本当に本気で寝ちゃってるよ。
 何しにラブホテルに来たと思ってるんだ。この状況で寝ちゃうか? と、先に寝たふりをした俺がいうのも何だけど。
 それはともかく、そういえば幸介さんは、先週店に来たときにこのところ国内向けの売り上げは落ちてるけど、海外からの受注が増えたとか何とか言ってたから仕事が忙しいんだろう。
 恐らくはそんな理由で疲れ果て、スーピーと寝息を立てながら完全熟睡モードに陥っている幸介さんを眺めながら、俺はこれからどうしようかと考えを巡らせた。

 お金は前金で貰ってるし、このまま放っといていいよね。
 それに、もし何もしなかったんだからお金を返せと言われたら――まあ、幸介さんはそんな事は言いそうにないとは思うけど、それならそれで朝に一戦交えれば済むことだ。
 じゃあ幸介さんはこのまま寝かせておいて、いったん店に戻ろうかなんて考えが頭をよぎる。
 今から店に戻れば、もう一人客が取れるかもしれない。
 二、三時間ですませてここへ戻って、後はずっと寝てた振りをすれば大丈夫だろう。一晩で二度稼げて美味しいじゃないか。
 なかなかいい事を考えついたと思うんだけど、思いに身体が付いていかない。ベッドの魔力に取り憑かれたのか、俺は店に戻るどころか吸い寄せられるように枕に頭を沈めた。
 シーツにくるまったまま、もそもそと身体ごと幸介さんの方に向き直ってみる。
 間近に眺める幸介さんの顔は、ちょっと目の下に隈ができてて本当に疲れていそうに見えた。
「なーにが『疲れてたんだね』だ。疲れてたのは自分だろ」
 まだ濡れている幸介さんの前髪をかき上げながら呟いてみたが、それでも幸介さんは起きない。
 そういえば、眼鏡を外した幸介さんを見るのは初めてだ。いつも掛けてる眼鏡はベッドサイドに置かれている。
 俺は何となく、始めて見る眼鏡無しの幸介さんの顔を観察した。
 眼鏡をしてるのにこんなに前髪を伸ばしてるから、重くて暗い感じに見えちゃうんだよね。真っ黒で長めの前髪を六・四くらいのバランスで分け目を入れてるのもおじさんくさくてNGだ。
 分けるにしても、前髪は眼鏡に掛からない程度に短くしてワックスでふんわり分ければ格好いいんじゃないだろうか。
 幸介さんは小顔だから、ちょっと髪にボリューム感を出した方が似合うだろう。
 顔の方は、目はそんなに大きくはないけど睫毛は長く、鼻も小鼻が小さいからか目立たないけどほっそりと高いから、最近流行のもっと縁の太い存在感のある眼鏡でインパクトを付けるといい気がする。
 こうしてじっくり見ると、幸介さんはやっぱり素材自体はそんなに悪くない。
 服だって極上品なのに、総合するとどうしてああヤボったくなっちゃうんだろう?
 不思議な人だ。
 とりとめもなく考えていると、次第に意識がぼんやりとしてくる。
 とくに考えなきゃいけないことでもないし、このまま意識を手放してしまえばいいのに、何もせずに稼がせてもらって綺麗なシーツで横になっているという心地いいこの状況下では、それは何だか惜しい気がした。
 俺は目の前で寝こけているこの冴えない男をどうすれば見目よくできるのかって事を、眠りに落ちるまで考え続けていた。



 店が退けてからも客と一緒だったり、店のボーイの子と他の店に飲みに行ったりで、俺が家に帰り着くのはいつも朝方だ。
 それから眠るわけだから起きるのは日が沈みかけた夕方で、日が出てる時間に起きるということはほとんどない。
 だから今、窓から差し込むしっかりと昇りきっているのだろう眩しい太陽の光は、見慣れないせいかもの凄く眩しい。
 そんな白い光の中で目覚めた俺は、スーツ姿で座っている男の姿を顔をしかめながら見つめた。
 その男はテレビを見ていたらしいがテレビより俺の方に気が行っていたらしく、俺が起きたのに素早く気付いて近付いてきた。
「あの……翔君、大丈夫? 気分悪い?」
「あ、あ! ごめんなさい! 幸介さん。俺、寝ちゃってた? もう朝なの?」
 寝起きで少し頭の回転が鈍っていたが、俺はすぐにフル覚醒して現状を理解した。
 ここは家じゃなくラブホテルで、幸介さんは大事なお客様。愛想よくしなくっちゃ。
 慌ててしかめっ面をやめて起き上がると、恥ずかしそうに乱れて開いたバスローブの前をかき合わせた。
 これも客が喜ぶ仕草の一つだ。
「うん。僕の方こそごめんね。翔君があんなに疲れてるなんて気付かなくて。ごめんね」
 だけど今日の幸介さんはそんな仕草に惑わされることもなく、心底申し訳なさそうに頭を下げて謝ってきた。
「え? あの、何で幸介さんが謝るの? 俺が悪いのに」
「こんな疲れてる時に無理に誘って……迷惑だっただろ? そのお詫びに朝食というか、もうそろそろ昼だけど、しょ、食事でも、その、一緒に……どうかな?」
 棒読みながらも、幸介さんにしては気の利いた誘い文句。俺が寝ている間に練習したのかな、なんて思うとちょっと可愛い。
「本当に? いいの? 怒ってないの?」
「怒るなんて、どうして? 僕が悪かったのに。それで、その……食事は……お腹空いてない?」
「ううん。空いてる。すっごく空いてる。何食べに行く?」
 明るく返した俺の返事に、幸介さんは本当に嬉しそうに微笑んだ。
 朝――といってももうすぐお昼な時間だけど、今からセックスすることだって出来るというか、それを望む当然の権利を持ってるくせにそれをしないで食事に行こうなんて言われて、俺が喜ぶのは分かるけど何で幸介さんの方が嬉しそうなんだか。
 何にもしてないのにお金をくれて、おまけにご飯まで奢ってくれようなんて、この人はなんていい人なんだろう。

 ――これは本当にいい金づるを掴んだな。

 爽やかな朝にふさわしい笑顔を浮かべながら、俺は心の中でほくそ笑んだ。

(up: 28.June.2009)

Back  Novel Index  Next

Copyright(c) 2007- Kanesaka Riiko, All Rights Reserved.