だから 側にいてあげる -3-

「いいお天気で気持ちいいね」
「……そうだね」
 晴れた空に薄い雲がゆったりと流れ、木々がさやさや揺れるたびにこぼれる木漏れ日もきらきらと輝く――まさに理想的な休日のお天気。
 確かに天気はいい。けど、この状況は全然よくない。
 俺と幸介さんは、公園の木陰のベンチでコンビニ弁当を食っているんだった。

 何を食べたいか聞かれたときに、何でも幸介さんの好きなものでいいとは言ったけど、まさか公園でお弁当が食べたいと言い出すとは思わなかった。
 明るい内に外出する機会があまりない俺としては、おしゃれなオープンカフェなんかで優雅にランチを期待したのに。
 せめてデパ地下まで足を伸ばして、有名店の松花堂弁当とかにすればよかったのに、あまりにすっ飛んだ提案に動揺して、ついつい幸介さんについてコンビニに入っちゃったんだよね。
 だけどがっかりしている俺とは裏腹に、幸介さんは上機嫌な様子だった。
「外で食べるのっていいね。遠足ってこんな感じなのかなあ」
「え? 遠足? まあ、そうかも。て言うか、幸介さん遠足って行ったことないの?」
「うん。子供の頃は、その……学校にはあまり行かなかったから」
「ふーん。そうなの」
 俺の問いかけに、幸介さんは歯切れ悪く答えると俯いてしまった。
 学校に行かなかったって、幸介さんってば気が弱いしトロいからいじめにでもあってたのかな? それとも病気とか?
 どっちにしろ楽しい理由じゃないだろうから、あんまり突っ込んで聞いちゃいけないだろう。
 俺の仕事は幸介さんを気持ちよくしてあげること。
 身体だけじゃなく、言葉でも喜ばせてあげなくちゃ。
 俺といると気分がいい。そう思わせて通わせて金を貢がせるのがサービス業ってもんだ。
 そう思った俺は、雰囲気を変えようと話を明るく関係のない方向に持っていくことにした。
「その唐揚げおいしそう。一つちょうだい」
「うん。いいよ」
「ありがと。はい、お返しにハンバーグを一切れ上げる」
「あ、ありがとう」
 こんなたわいのない会話に、幸介さんはすさまじく幸せそうに微笑む。
 普段どれだけコミュニケーションに飢えてるんだろうと思わずにいられない。
 幸介さんって小難しい話ばっかりするから友達がいないのかなとも思ったけど、幸介さんの勤め先は天下の松田製作所。
 名門大学卒じゃなきゃ入れないと言われてる大企業だから、同僚もみんな頭がよくて話が合いそうな気がするんだけど。
 でも、ろくに学校に行ってなかったってのにあんないい会社に入れるほど頭がいいって、幸介さんってば結構すごい人なのかも。
 育ちもいいって感じだからお金持ちな家の子で、学校に行けなくても家庭教師かなんか付けて貰ってたのかな。
 お金持ちだからこんなコンビニ弁当なんて食べ慣れてなくて、珍しさでおいしく感じるのかも。
 俺は嬉しそうにハンバーグを頬ばる幸介さんを横目で見ながら、幸介さんと俺の違いについて思いをはせた。


 俺は中学まではいじめなんかとは全く無縁な学校大好きな充実した部類の人間だったのに、今はこのざまだもんな。
 勉強もそれなりに出来たし友達もいて、女の子とお付き合いなんかしたりもしてた頃からは考えられない姿だ。
 あの頃は自分の将来なんて真剣に考えた事なんてなかったけど、それでも大学に行ってそれなりに遊んで、それなりの会社に普通に就職する――漠然とだけどそんな風に思ってた。
 そんな平凡ながらも幸せな日々がほつれだしたのは、両親の離婚問題からだった。
 俺が中学3年になった頃、親父が若い女と浮気してたのがバレてドロドロの離婚騒動に発展し、俺は親父に妹はお袋にとそれぞれ引き取られた。
 けど、若い女にすぐに愛想を尽かされた親父は、自分が女に捨てられたのを俺のせいにして暴力をふるうようになり、高校では憧れの人に裏切られ……家にも学校にも居場所を失った俺は、ほとんど着の身着のままで家を飛び出した。
 信じられる人もなく、帰る場所もない。急転直下の転落人生。
 だけど、この可愛い顔立ちだけは俺の味方だった。
 親の暴力から逃げてきたと悲しそうな顔で告げると、住み込みのラーメン屋のバイトがあっさりと決まり、ねぐらはすぐに確保できた。
 高校中退で資格ゼロの俺にはありがたい話だったけど仕事はきついし給料は安いしで、辟易としていたときに夜の街で男から声を掛けられ、小遣いをくれるというその男と身体を重ねた。
 そいつがどんな奴だったか貰った金をどう使ったかももう忘れたけど、とにかくそれから自分が売り物になるって事と、男から金を巻き上げる事の簡単さに気づいた俺は夜の街を彷徨うようになり、今の店に落ち着いたってわけだ。


「翔君?」
「ん? 何?」
「いや、お箸が止まってたから……唐揚げ、おいしくなかった?」
「ううん。ちょっと……デザートも食べたいなーなんて考えてただけ」
 思わず暗い過去に浸ってどす黒い雰囲気を醸し出しちゃってたらしい俺は、慌てて取り繕った。
「ああ、そうか。そうだね。ケーキか何か買っておけばよかったね」
「あ、でも、今はお腹いっぱいだから、デザートはまた後にしようよ」
 デザートまでコンビニスイーツですますのは、さすがに勘弁して欲しい。
 今度こそ、おしゃれなカフェでランチは無理だったけど、せめてデザートはどこかいい店で食べたい。
 そんな俺の企みには気づかず、幸介さんはニコニコと微笑みながら頷いた。
「うん、そうだね。でも、外だといつものお弁当がすっごくおいしく感じちゃうから不思議だね」
「いつもって、幸介さんってば普段こんな昼食なの?」
 幸介さんが一人暮らしってのは聞いてたけど、社員食堂もあるだろうし料理とかしそうな感じなのにお昼はいつもコンビニ弁当なのか?
「僕は料理って全然出来ないから、いつも仕出しとかコンビニのお弁当なんだ。それに大抵、仕事をしながら食べるから」
 いつもと同じ物でも外だと違うという風に、幸介さんは本当に気持ちよさそうに空を見上げた。
 風が幸介さんの前髪をなぶると、幸介さんは心地よさそうに目を閉じた。
 ささやかな――ささやか過ぎるほどささやかな幸せに浸ってる。
 これは、何だろう? そんな幸介さんを見てると、こっちまで今すごく幸せなんじゃないかなんて思えてくる。
 だけど、そんなわけないだろう。
 ビルに囲まれた街中の、僅かばかりに緑をたたえただけの公園で、平日はくたびれたサラリーマンがぐったり昼寝なんかしてるんだろうベンチに、男ふたりで腰掛けて弁当を食ってるんだぞ?
 スーツ姿の幸介さんとちょっと軽めの学生風な格好の俺とじゃ、端から見れば休日出勤のサラリーマンとバイト君が、昼休みに弁当を掻き込んでるようにしか見えないだろう。
 幸せなんかとはほど遠い、侘びしい状況だ。
 だけどそんな俺の心も知らない幸介さんは、目を開けると俺の方を見て照れくさそうに微笑んだ。
「あの……あのね、おいしく感じるのは、外だからって言うのもあるけど……翔君が隣にいてくれるからかな、なんて……」
 お世辞なんかじゃない。心からそう思ってる感じの幸介さんのはにかんだ笑顔が、可愛くって思わず抱きしめたくなった自分に驚いた。
 何をこの人のペースに飲まれてるんだ。
 確かにこの人は俺の大切な人。側にいて欲しい人。――だけどそれは大事な金づるとしてって意味でだ。
 巧く操って金を出させなきゃいけないのに、自分が乗せられてどうする。
 金持ちの余裕でいい人なだけの幸介さんに手玉に取られるなんて冗談じゃない。
 俺が幸介さんを手玉に取ってやる。
「ホント? そんなこと言ってくれるの幸介さんだけだよ」
「そ、そう、なの? 翔君ってばかわいいし優しいから……みんなそう思ってると思うよ」
 俺に寄ってくる奴なんて、俺と一緒に居たいんじゃなく単に犯りたいってだけだろう。
 甘っちょろいことを言う幸介さんを鼻で笑ってしまいそうになって、ぐっと堪える。
 幸介さんが何を考えていようが、そんなことはどうでもいいんだ。
「じゃあねえ、デザート前の腹ごなしに一緒にどこに行かない?」
「うん。うん、そうだね。どこがいいかなあ……」
「幸介さんって、いつもすてきなスーツ着てるよね。どこで買ってるの?」
「これ? これは普通に帝急デパートで買ってるだけだけど」
 帝急って言えば高級ブランドが売りの、金持ち御用達のデパートじゃないか。
 幸介さんにとっては普通が高級デパートなんだ。全然普通じゃないっての。
「そこ行ってみたいなー。……でも、俺なんかが行ったら場違いだよね」
「場違い? 何で? あ、翔君はまだ学生さんみたいに見えるから? でも学生さんも就活スーツとか買うよ?」
「いや、そーじゃなくて……」
 俺なんて、上から下まで一式そろえて一万円のスーツを売ってる店がお似合いだよねと匂わせてみたんだけど、そんなことに幸介さんは全く気づかない。
 この人は今まで俺が相手にしてきた人たちと何か違ってやりにくい。
 だけど絶対俺のペースに持ち込んでやる。
「お仕事柄、スーツは要らないから持ってないの?」
「うん。スーツなんて着る機会がなかったから。でも、大人なら一着くらい持ってなきゃおかしいよね……でも俺、そんな余裕ないし」
「あ! じゃあ、僕が買ってあげるよ! そうだ、昨日のお詫びもあるし。ね? そうしようよ」
 幸介さんは、ものすごくいいことを思いついたというように目を輝かせた。
 そんな幸介さんに、俺は心の中でほくそ笑む。
 自分からおねだりするんじゃなく、向こうから金を使わせるようにし向ける俺の作戦に、幸介さんはあっさりと引っかかってくれたんだから。
 本当になんて扱いやすい人。
 でも俺はそんなことを考えてるとはおくびにも出さず、遠慮がちに幸介さんを見つめた。
「でも、そんな……」
「駄目……かな? その……迷惑かな、こういうのって」
「ううん。そんなことない。すごく、すごく嬉しい!」

 ブランドスーツを手に入れられる喜びに、俺は極上の笑みを浮かべて幸介さんの腕に絡みつくようにすり寄った。

(up: 7.Nov.2010)

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