通い慣れたいつもの場所にいつものように到着した俺は、きょろきょろと辺りをうかがい人目を気にしつつ、いつもとちょっと違う格好に変身する。
「よし。こんなもんかな」
鏡がないから確認できないけど、昨日しっかりチェックしたから抜かりはないだろう。
このミッションを成功させるべく、数日前から密かに準備を続けてきたんだからここでミスは出来ない。
準備と確認をしっかりすまし、咳払いをして気合いを入れてからインターホンを鳴らす。
合い鍵は持ってるんだけど、相手に開けて欲しいから今日は使わない。
今日行くと言っておいたからか、チャイムが鳴るとすぐに部屋の主は誰が来たのか確認することもなく扉を開いた。
「Trick or treat!」
「Happy Halloween. はい、お菓子をあげるからいたずらはなしだよ」
「え? あ、あれ?」
俺の突然の特攻に、日高は驚いた風もなくにこやかかつ的確な対応を返してきた。
魔女風とんがり帽子に黒マントを装備した俺は、日高が差し出してきた綺麗にラッピングされたチョコかクッキーの詰め合わせみたいな、いかにもハロウィン用のお菓子に面食らった。
驚かせに来たのに驚かされるってどういう事だ。
戸惑う俺に、日高は余裕の表情で微笑んだ。
「聡がここに買い置きしてたお菓子がいつの間にかなくなっていたし、やたらと31日っていう日付にこだわっていただろう? 昨日から泊まりにおいでって言ったのに、わざわざ今日行くって言うんだからハロウィン狙いだって気がつくよ」
日高にお菓子を出させないよう、部屋からお菓子を全部撤去して準備万端に整えたのが仇になっちゃったのか。
「名推理、お見それしました」
「Elementary. My dear」
シャーロック・ホームズばりの推理だと感心していると、それさえ見透かしたかのように日高はホームズの決めゼリフで微笑んだ。
日高にはいつも本当に敵わない。
これでホームズ風にシルクハットに桜材のパイプでもくわえててくれたら言うことなかったんだけど、そこまでのノリは望みすぎか。
――余談だけど俺は世間一般の、街中でも鹿討帽にインバネスのラスボーン版ホームズは認めない。
すっかり出鼻をくじかれて力なくリビングのテーブルに突っ伏すと、被っていたカボチャのワンポイント入りのとんがり帽子がむなしくころころと机を転がり床に落ちたけど拾う元気もない。マントも脱いじゃうぞ。
「あーあ、せっかくいたずらの用意をしてきたのに」
「いたずらって、何をするつもりだったの?」
お菓子を貰ったのは嬉しいけど、せっかくの準備が無駄になっちゃったことを愚痴る俺に、日高が興味ありげに聞いてきた。
「これを日高に付けて写真を撮ろうと思ってたのに」
「これを?」
せっかくだから見るだけでも見て貰おうと、テーブルの上に広げたグッズを見て日高はあきれたように苦笑した。
俺が用意したのは、猫耳の付いたカチューシャとひげ付きの猫の口元風のシリコン製マスク。
装着するだけで誰でも簡単にキャッツごっこができる優れものだ。
衣装と一緒にわざわざショッピングモールのハロウィングッズ特設売り場で買ってきたのに、出番なしだなんて本当に残念。
「携帯の待ち受けにしたかったのになー」
日高のさらさらの黒髪に合わせて買った黒い猫耳。日高って目元がきりっとしてるところが猫っぽいから、絶対似合うと思ったのに。
「聡が付けた方が似合うよ」
「駄目、駄目。日高が付けるの! 絶対こんなの付けそうにない日高が付けるからいいんだろ。俺だったらウケ狙いで普通に付けちゃうもん」
有言実行で猫耳を付けてみせた俺にあきれて、日高が俺に背を向けた――と、思ったら携帯電話を取り出したんだった。
「何?」
「いや、待ち受けにしようと」
「ええっ? 駄目、ずるい! 俺の写真撮るんだったら、日高のも撮らせてよ!」
携帯のカメラをこっちに向ける日高から両手をかざして逃げる。いたずらを阻止された上に俺の方がいたずらされるなんて、そんなの嫌だ。ずるい。
「君が撮らせてくれるなら、僕も付けてもいいよ」
駄目元で言った言葉に意外な言葉が返ってきたのに驚いたけど、前言撤回される前にと俺は素早く食いついた。
「ホント? 本当に? だったらいいかも」
「え? いいの?」
今度は日高が驚いて拍子抜けしたような顔をしたけど、猫耳日高の待ち受けと引き替えならそれくらい全然いい。
「いいよー。あ、ちょっと待って。マスクも付けるから」
「いや、マスクは付けなくていいよ」
猫マスクに伸ばした俺の手を、日高が止めた。
「何で? 付けた方がおもしろいよ」
「付けてない方が可愛いから」
「なっ、可愛いって――」
「可愛いよ。猫耳付けた聡ってばすごく可愛い」
「可愛いって……ちょっと、日高!」
可愛いって言う日高が可愛い。
つい思わず見つめ合っちゃって、照れて猫耳をはずそうとした俺を止めようと、日高がこっちに近づいてきたんで、さらに近い! 顔が近い!
離れようとしたけど引けば引くだけ日高か近づいてくるから、結局俺は後ろにひっくり返ってしまった。
床にしかれたラグは毛足が長くて柔らかだから、今回は前の玄関の時みたいに頭を打たずにすんでよかった。
「駄目だよ。取っちゃ駄目」
ひっくり返った弾みに取れそうになった猫耳を、またきちんとつけ直される。こだわりますねえ。なんて、感心してる場合じゃないか。
「猫耳は取っちゃ駄目で猫口は付けちゃ駄目。って、日高ってば駄目駄目ばっかり」
「ごめんね」
むくれる俺のご機嫌を取るように、日高が俺の頬をなでる。
こんなことで機嫌を直しちゃうのはしゃくなんだけど、直っちゃうんだから仕方ない。
「うーん、まあ、許してもいいかな。でも、ちゃんと日高もあとから付けて写真撮らせてよ?」
「うん。ちゃんと付けるよ。約束する」
「じゃあ、写真撮ってもいいよ」
それならと起き上がってピースサインでポーズでも決めようかとしたんだけど、日高が俺の上からどいてくれない。
「日高?」
「写真を撮る前に……ちょっと、いい?」
「ちょっと? 何?」
「何って……いたずら、かな?」
いたずらっぽく微笑みながら、日高はするっと俺の腰の辺りに手を滑らせた。
腰はくすぐったいから触っちゃ駄目だっていつも言ってるのに。
「うっひゃ、ちょっ、日高! いたずらは俺がする方だろ!」
「聡はお菓子を受け取ったからいたずらしちゃ駄目でしょ」
「えー? そんなのずるい!」
「本当なら昨日から泊まりに来て欲しかったのに、君のいたずらに付き合ってあげたんだから、これくらいのわがままは聞いて欲しいな」
あ、日高ってば昨日のうちに来なかったことを根に持ってたんだ。
でも考え方を変えれば、分かった上でわざわざ付き合ってくれたとも言えるよな。
それに何より、ちょっとむくれたような口調で言う日高が、可愛い。
今度は俺が日高のわがままに付き合うべきかな?
「うーん。なんかちょっと釈然としないなぁ……」
「いたずらもお菓子も両方手に入れられてお得でしょ?」
「すっごく釈然としないなあ」
口ではそう言っても、抵抗する気にはならない。
笑いながら日高の首筋に腕を回す俺に、日高の唇がそっと降りてくる。
――そんな日高を受け入れながら、俺は来年こそはと密かにリベンジを誓っていた。