14.Feb MISSION:V

 このミッションは秘密裏に遂行しなければならない。

 そう、たとえ失敗に終わったとしても、ターゲットにミッションが発動されたことを知られることだけは避けなければならない、複雑なミッションだ。
 実行日を目前に控え、必要なアイテムはすべて揃った。改めて机の上のそれらのアイテムを一つずつ確認する。

 淡いオレンジのハート模様の入ったメッセージカード。
 有名店の高級チョコレート。
 それを本にカムフラージュする為に掛けるブックカバーと本屋の紙袋。

 ――以上である。
 後はカードに書き込みをし、勇気と不屈の精神を持って期日内にミッションを実行するのみ!
 俺は任務に赴くジェームス・ボンドのように格好良く決めたつもりになったけれど、現実はそれとはほど遠い。だけど俺にしてみれば、これからしようとしていることはそれくらいの根性と覚悟がいることなんだ。


 バレンタインに男の子にチョコレートを送る。
 女の子ならなんの問題もないんだろうけど、俺は男だから。
 だけどバレンタインは外国では確か「好きな人にプレゼントを贈る日」であって、女の子だけのイベントじゃなかったはず。俺だって参加してもいいよな。
 俺はただどさくさに紛れて、好きというか憧れてる人にメッセージを送りたいと思ってるだけなんだから。

 ターゲット――チョコを渡したい相手は同じクラスの日高仁史(ひだか ひとし)。
 1年の時から生徒会の書記に選ばれ、2年では生徒会長。今では我が校一の有名人だ。
 単に勉強が出来るってだけじゃなくて思考力というか、校則の見直しとか行事の活性化とか色んなことを思いついて、さらにそれを実行に移す行動力もともなってて、本当に格好いい。2年で同じクラスになって身近で彼を見るようになって、ますますそう思うようになった。
 自分があんな風になれないのは分かってる。もう羨ましいなんて通り越して、ただただ格好いいと思うんだ。そして彼にはこのまま格好良くあり続けて欲しいと思う。
 そんなわけでバレンタインというイベントに便乗して、その気持ちを込めてチョコを渡そうと思いついた。ただそれだけ。

 誰からかなんて伝わらなくてもいい。ただ気持ちはしっかり伝えたいから渡すならインパクトのある物にしたい。
 手作りチョコだったりしたらやっぱり目立っていいんだろうけど、そんな器用なことは出来ないから安直に値段で勝負に出ることにして、俺はデパ地下の有名店のチョコを買いに行ったんだ。
 そこで俺はもの凄いカルチャーショックを受けた。有名店の高級チョコレートって高いんだ! ……高いから高級チョコなんだろうけど。
 一口で終わっちゃうような小さな一粒が、300円とか400円とかしてるんだから。普通にスーパーで売っているチョコなら、大きな袋入りのが買えちゃうぞ。
 おまけにケーキみたいに一粒ずつ店員さんに取ってもらって箱詰めするんだ。今までこんな高そうなチョコは自分で買ったことなんて無かったから、俺はそんなことも知らなかった。
 そんなこんなで高級チョコ購入初体験でめちゃくちゃ緊張しながら、ハート型やピンク色の模様の入った可愛い物を6つ厳選して綺麗にラッピングもしてもらった。
 そのラッピングの上に本のカバーを掛けて、持ち歩いている最中に誰かに見られても大丈夫なように細工をする。
 最大の問題はどうやって渡すかだ。
 その為にずっとプランを練って、考え抜いた末に浮かんだプランは3つ。

 その1はスタンダードに下駄箱に入れる。
 これは早めに行けばターゲットと接触する可能性は低いけど、同じ目的の女の子と鉢合わせる可能性は大きくて危険度3。さらに彼のチョコを横取りしようとしていると勘違いされるという可能性も入れれば、危険度5は行くだろう。インポッシブル――実行不可能。

 その2は、面と向かって渡すのが恥ずかしいという女の子から頼まれたことにして直接渡す。
 これは目の前で相手の反応も見られるし、危険度も0に近いいいプランだ。
 だけど「どんな女の子から頼まれたのか」と訊かれたら何も答えられなくて、俺が物覚えの悪い奴と彼から軽蔑されるという可能性がある。それを考えれば危険度は3に跳ね上がる。

 そしてその3は、体育の授業とかで教室に誰も居なくなった隙に彼の机に入れる。
 これはその日の時間割によるんだけど、幸い14日は5限目が特別授業で視聴覚室での授業になってる。
 みんなが視聴覚室に集まったのを確認して、授業が始まる直前に忘れ物に気付いたふりをして教室に戻ればいい。ちょっと授業に遅れちゃうけど、それは大したことじゃない。危険度1。
 と言うことで、プラン3を採用することに決定。

 実行プランが決まると、俺は最後の仕上げに取りかかる。
 妹の部屋からこっそり借りてきたピンク色のペンでカードにメッセージを書き込む。
『がんばっているあなたが 大好きです』
 なるべく丸くて可愛い感じの文字で書く。
 そこまで書いてペンが止まる。色々考えていたのに、いざ書くとなると頭の中は真っ白になる。その中で出てきたこの言葉は、きっと本当に伝えたいことなんだろう。
 実際好きだという気持ちを伝えたいだけで、返事もいらなければ誰からだとも知られたくないんだからそれでいいか。
 チョコレートの箱のリボンの間にカードを挟み、カムフラージュのブックカバーを掛け直しさらに本屋の紙袋に入れて準備完了!
 壁のカレンダーを見る。決行日の2月14日は明日。
 俺は忘れないようにしっかりとチョコを鞄の底に忍ばせると、明日に備えて早めに眠ることにした。



 ミッション当日――2月14日。
 昨日早々とベッドに入ったもののなかなか寝付けなかった俺は、余裕を持って出掛けられるようちょっと早めに目覚ましを掛けたはずなのに寝過ごして、結局フツーにいつもの時間に登校することになった。
 日高が靴箱を開けてそこにあること確実のチョコを見て、どんな反応を示すのか見たかったのに。
 けど、休み時間の度ごとに教室にやってくる女の子達からチョコをもらう日高は見られた。さすが生徒会長。
 日高は特にたいしたリアクションはなかったけど「ありがとう」と、落としたペンを拾ってもらった時くらいの笑顔で受け取っていた。凄く喜んでいるという感じじゃないけど、嬉しいことは嬉しいみたいだ。
 俺のチョコを見ても、あんな風に笑ってくれるかな? それが見られないのがちょっと残念だけど、渡せるだけでよしとしよう。

 そんな風に授業も上の空で頭の中は日高のことで一杯な内に、昼休みが訪れた。
 いつもの友達と何気ない風で弁当を食べながらも、俺は綿密に立てたこれからのプランを頭の中で最終シミュレーションした。
 いける。やるぞ! さりげなくしてるつもりだけど、何度も壁の時計を見てしまう。
 そして、そろそろ次の授業の始まる時間。みんなそれぞれに教科書と筆記用具を持って視聴覚室への移動を始める。

 ――ついにミッション開始の時が来た。

 俺も一端はみんなと一緒に移動する。視界の端に日高の姿を捕らえながら。
 授業開始まであと3分。視聴覚室を見渡すと日高を含めもうほとんどの生徒は来ている様だったけど、万全を期すため一応きちんと数えて確認する。
 残り1分を切った頃、ようやく全員が揃った。
 よし、今だ!
「あーっ、ノート間違えて持って来ちゃったよ」
 俺はちょっとわざとらしかったかな? というくらい大声を出して立ち上がる。
「ちょっと取りに行ってくる」
 隣の席に座ってた友達が「いーじゃん別にそれくらい」と言うのを尻目に俺はダッシュで走り出した。

 頭の中でデジタル時計がピッポッピッポッと音を立ててリミットに迫る時を刻む。俺は24時間戦い続けるジャック・バウアーのように走った。
 教室に着くと同時にチャイムが鳴る。急がないと。俺は鞄を開けると底にしまい込んでいた紙袋から、ブックカバーにくるまれたチョコレートの箱を壊れ物のようにそっと取り出した。
 鞄に入れていた間にちょっとゆがんでしまったリボンを丁寧に直す。
 時間が無くてもやることはちゃんとやっておかないと。そのリボンの間にしっかりとメッセージカードが挟まっているのも確認して日高の机の中に入れる。
 これでミッション コンプリートだ!

「僕の机に何か用? 篠田(しのだ)君」
「え? わっ! ひ、ひだ、日高……くん」
 椅子を引いて日高の机の中にチョコを入れようとしたまさにそのとき、突然声を掛けられて驚いて振り向くと教室の入り口に日高の姿があった。
 人に見られた。しかもその相手が当の日高だったもんだから、俺は完全に挙動不審に陥る。でもこの状況じゃ俺が実力派スパイのイーサン・ハントだったとしても焦らずには居られなかっただろう。
「え、あの……これ、その……机から落ちたみたい、だったから」
 俺がチョコの箱を手に持っているのは日高からも見えているだろうからこの際もう渡してしまおうと、俺は近づいてくる彼にチョコを差し出した。
「ふーん、そう。拾ってくれてどうもありがとう」
 想定外の出来事にぶち当たったにしては、いい対応が出来たのかな? 日高はにこやかに俺の手からチョコを受け取った。
 日高とは同じクラスになったものの接点が無くてほとんど話したことはなかったし、ましてこんな風に笑いかけられたことなんて無かったからちょっとドキドキした。
 今日一日ずっと笑顔でチョコを受け取る日高を見てきたけど、今の笑顔が一番に見えた。やっぱり自分に向けられる笑顔の方が良く見えるものなのかな。

 そんな俺にはお構いなしに、日高は箱に添えられたメッセージカードを開いた。まさか目の前で読まれちゃうのは予想していなかったんで、内心慌てまくってしまったけどどうしようもない。
「『がんばっているあなたが大好きです』か。ずいぶんと可愛いメッセージだな」
「そう? そう、だね」
 話を振られても曖昧に答えるしかない。俺はただ机から落ちたチョコを拾っただけの第三者なんだから。
 さらに日高は包装を外して箱の蓋を開けて中を見る。何だか目の前でテストの採点をされてるみたいな緊張感で、心臓が掴まれてるみたいに痛い。
「綺麗なチョコレートだね。僕はチョコレート好きだから嬉しいな」
「え? そうなんだ」
「篠田君も好き?」
「うん。俺も大好きだよ。特にココアのかかった中が柔らかいヤツなんかサイコー」
「こんなの?」
 日高は箱の中身をこっちに向けて、その右端のココアパウダーのかかった丸いチョコを指差した。俺ってば選ぶ時に思わず自分の好きなのも入れちゃったんだよね。
「あ、うん。そう。そんな感じのヤツ」
「好きならあげるよ」
「え?」
 ――人から貰った物を簡単にあげちゃうのかよ、とちょっと幻滅したけれど、考えてみれば日高ってば今日一日で少なくとも十個はチョコをゲットしてるはず。なかなか全部ひとりでは食べられないよな。
 だったら一粒くらい人に上げようって気になるかも。うん。独り占めするより器がデカいと見るべきかも。すぐに気を取り直した切り替えの早い俺は、嬉々として差し出されたチョコに手を出した。
 実はちょっと食べてみたかったんだ。けど売り場で一つだけ別に包んでくださいとはとても言えなくて断念したんだよな。

 口に入れるとまずココアの苦みが口に広がるけど、ちょっと力を入れただけですっと歯が通って、中の柔らかくて滑らかなチョコが舌に絡まるみたいに溶け出してきた。
「うっわー、これ美味い」
「へえ。そんなに美味しい?」
「うんうん。俺史上最高に美味いかもしんない」
 すぐに飲み込むのは勿体ない。ただでさえ柔らかくて蕩けるようなチョコを、なるべく噛まないように口の中で転がして楽しむ。
「それはちょっと僕も食べてみたいな」
「あ、ごめん。このタイプのはこれ一個しか……」
「ちょっとだけ、いい?」
 そう言うと、日高は俺の腕を掴んで自分の方に引き寄せた。
「へ? あー、うん」
 何だかよく分からないまま思わず頷いてしまった俺に、日高はにっこり笑うとキスをした。
 多分キス。突然だしほんのちょっとのことだったからよく分からなかったけど、日高が離れていっても柔らかな感覚が唇に残ってる。

「やっぱりこの程度じゃ味は分からないね」
「あ、あの、えっと……ごめん」
 平然としてる日高に、俺はうろたえることも出来ずにただ謝ってしまう。
「いいよ。自分で買って食べてみるよ。でも店がどこにあるのか分からないから、連れて行ってくれると嬉しいんだけど」
「え? え!」
 もしかして、俺が贈ったチョコだってバレてる?
「場所を知らないの? 自分で買ったんだろう。それとも、誰かに買ってきてもらった?」
「……自分で買った」
 バレてるな。
「じゃあ、分かるよね。連れて行ってくれる?」
「――うん」
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「ええっ、今から?」
 今からチョコレートを買いに行こうというのかとビックリした俺に、日高は肩をすくめて笑った。
「何を勘違いしてるんだ。視聴覚室に行くんだよ。もう授業が始まってる」
「ああっ、そうだった! 大変だ」
 始業のチャイムが鳴ってからもう結構時間が経ってるはず。突然今の状況を思い出して慌てて走り出そうとする俺の手を日高が掴む。
「僕を置いていくなよ」
「うん」
 ――俺のミッションは完全に失敗した。
 だけどこれはこれでいいかもしれない。俺は、笑顔で彼の手を強く握りかえした。

(up: 4.feb.2007)

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