あなたの胸で眠らせて −13−

「じゃあ、これ持って付いてきて」
 そう言って、安積さんは買い物カゴを乗せるカートを指差す。
「あの、安積さん。これは荷物運びのバイトって言うより、ただの買い出しのお供だと思うんですけど」

 のんびり朝寝をして遅めの朝食を摂った後に安積さんの車で連れてこられた先は、食料品から衣類に家電まで取り扱ってる大型のショッピングセンターだった。
 そこのカートを押してついて行くって、どう考えてもただの買い物の付き合いだろう。
 だけど安積さんは首を横に振る。
「いや、前からここに買い物に来たかったんだけど、誰か付き合ってくれる人が居ないとひとりじゃ運べないと思ってたから頼めて助かったよ。カートを押すくらいならその足でも大丈夫だろう?」
 足の打ち身は安積さんが貼ってくれた湿布のお陰か、もう触ると痛い程度になっていたし、昨日走って逃げたせいで足に筋肉痛はあったけど、その他に痛む箇所はなかったから問題ない。
 だけど、バイトの内容には大いに問題があると思う。
「足は大丈夫です。でも荷物が多いにしたって、こんなの友達にでも付き合ってもらえばすむ事でしょう。この程度のことでバイト代なんてもらえないですよ」
「社会人になるとなかなか休みが合わなかったり他の用が入ったりするから、この程度のことに友達は誘いにくくってね。それに、バイト君なら遠慮無くこき使えるからいいよ。ほらバイト君、早く行こう」
 確かに毎日忙しく働いて、せっかくの休日に男友達から近所のショッピングセンターに買い物に行こうと誘われて喜んで付き合う社会人ってのも居ないのかも。
 納得がいかないまでも取りあえず説明を受けたオレは、先に立って歩き出した安積さんにカートを押しながら付いていくことにした。

 それにしても、安積さんはオレの好みを訊きながらパンツとか靴下とかをカートのカゴに放り込んでいく。もしかしてオレのために買ってませんか? と訊きたくなるけど自意識過剰だったら嫌だし、もしそうだとしてもはぐらかされちゃうだろう。
 だけど寝具売り場で敷き布団というか、マットレスを物色し始められるとさすがに一言言いたくなる。
「安積さん、あの……それ、見てるだけ、ですよね?」
「いや。今日一番の目的はこのマットレスだったんだ。あ、これ、すごく弾力があるよ。でもちょっと硬すぎるかな」
 安積さんはマットレスを押して感触を楽しみながら、オレにも触ってみろとばかりに微笑みかけてくる。
「安積さんはベッドで寝てるのに、どうしてまたマットレスなんて欲しいんです?」
「前に言わなかったっけ? 家にはたまに友達が泊まりに来るから、予備の布団がないと困るんだ。前にあったマットレスは人にあげちゃったから、また誰か泊まりに来る前に買っておきたかったんだ」
 そうか。人にあげちゃったから、安積さんの部屋には予備の掛け布団はあるのに敷き布団というか下に敷くものはないなんて不自然なことになってたんだ。
 でも、友達にマットレスをあげるってどういう状況だったんだ?
「友達に家の敷き布団というか、マットレスをあげるってどういう経緯で?」
「その友達の勤め先の会社がいきなり倒産してね。そいつは社員寮に入ってたんだけど、その寮も突然差し押さえになって追い出されて行くところがないって言うから、次の職場が決まるまで家に泊めてたんだ。で、そいつが職と住むところが決まって出て行く際に、寝心地が気に入ったから餞別代わりにくれって言うんで就職祝いにあげちゃったんだ」
「泊めてたって、どのくらいです?」
「んー、3ヶ月くらいかな」
 そんなに? たまに友達が泊まるっていっても、週末とかに飲み明かしてそのまま泊まる友達が居る程度かと思ってたけど、そんな本格的な長期滞在もOKだなんて。
 だけどその間彼女との付き合いはどうしてたんだろう。
「あの……その間、安積さんの彼女はどうしてたんですか? 他の人が家にいるなんて、遊びに来にくいでしょ?」
「ああ、当時の彼女はあんまり家には来なかったから。それに来ても3人で食事したりして、まあ普通にしてたよ」
 当時の彼女? って事は今の彼女は違う人なんだ。で、今の彼女はどうなんだろう。
 それにしてもそんなに次々と彼女が出来るなんて、安積さんって結構モテるんだ。
 確かにガタイはいいし、サングラスを掛けて黒服でも着ればSPかと思うような強面になるだろうけど、実際は人の良さがそのまま出てるような優しい目と表情をしてるから、優しそうなのに頼りになる感じでモテるのも頷ける。
 だけど振ったのか振られたのか、別れの原因は何だろう?
 訊きたいけど、どう切り出せばいいものか。

「あ、低反発マットだって。これ最近流行ってるよね。このムニッとへこむ感触がおもしろいものね」
 オレが悩んでいる間に、安積さんはマットレス選びに戻ってしまった。
 低反発マットレスの弾力感を楽しむ安積さんにつられて、オレも質問をするのは諦めて安積さんの触っているマットレスを押して感触を確かめてみる。
 マットレスの上に手を押しつけると、始め硬い感じがするんだけどゆっくり沈み込んで、手を離すとゆっくり戻ってくる。確かにムニッという擬音がよく似合う、おもしろい触り心地だ。
「ホントだ。でも結構硬いんですね」
「硬すぎる? 一番最初に使うのは宮本君なんだから、君が好きなのを選んでくれていいよ」
「え? でも、あの……」
 何かオレ、今夜も泊めて貰うこと決定なんですか? それはすっごく嬉しいけど、でもでも、いいのかな。
「君の彼女が出張から帰ってくるまで家にいなよ。もう乗りかかった船というか、乗せちゃった船員というか、ここまで関わっちゃったらもう放っておけないよ」
 さっきの話からして、安積さんは本当に人を泊めるのが好きで苦にならない人みたいだから、ちょっと甘えちゃって泊めて貰ってもいいかなって気になる。
 だけどやっぱり気になる彼女の存在。
 オレは思いきってずばっと訊いてみることにした。
「オレが泊まってちゃ、安積さんの彼女が部屋に遊びに来られなくなっちゃいませんか?」
「あー、彼女には最近振られたから大丈夫だよ」
 ……やっぱり。安積さんは今フリーなんだ。
 実は昨日の朝からそうじゃないかとは思ってた。
 洗面台に彼女の歯ブラシが無かったから。

 安積さんはオレが初めて泊めて貰った夜に、歯ブラシは泊める側が用意するのが当然のような感じで、普段からお客用の歯ブラシを用意してるっぽかった。だからきっと彼女にも買ってあげていただろう。
 で、化粧品は置いていくのに歯ブラシだけ持って帰るなんて不自然だから、当然彼女は歯ブラシも置いて帰っていたはず。なのにそれがなかったってことは、もう彼女は来ないから安積さんが処分したんだろう。
 あんな洗面所なんて水回りに、使わない歯ブラシをずっと置いておいたらカビが生えたりして不衛生だ。部屋の様子からして安積さんはきれい好きみたいだから、そんな物をいつまでも置いておくのは嫌だったんだろう。
 雑誌とか化粧品とか、彼女が持ってきた物を勝手に処分するのは気が引けるけど、自分が買ってあげた歯ブラシなら捨てるのにそんなに抵抗を感じないから捨てたんじゃないかと推理したんだけど、正解だったみたいだな。


「何で――」
 でも何で安積さんみたいに優しい人が振られたのかは分からない。優しすぎて物足りなくなった。とかかな?
 思わず疑問をそのまま声に出してしまったオレに、安積さんは律儀に答えてくれちゃう。
「何でって……『仕事と私、友達と私の、どっちが大事なの?』ってやつだよ。仕事が忙しくて会えない日が続いてね。そんな時に休みを取って友達の結婚披露宴に行ったのがバレて……怒らせちゃって」
「それは……確かにちょっと……」
 仕事はともかく、自分より友達を優先にされたら傷つく。彼女が怒るのも無理はないかも。
「でも、ちゃんと事情があったんだよ。小学校時代からの友人が急に海外転勤が決まってね。急な上にいつ帰れるかの見通しも付かないような状況だったんで、付き合ってた彼女も結婚して一緒に行くことになって。でも急だから式場の手配とか出来なくて、籍だけ入れて式は向こうで身内だけでって事にして、こっちでは仲間内で披露宴代わりのお祝い会だけすることになったんだ。そんな訳だったからどうしても行ってやりたくて、無理に仕事の都合を付けて何とか出席したんだ」
「その、それに彼女さんも連れて行って上げればよかったんでは?」
「急だったから本当に友達だけの集まりで、結婚してる奴も奥さんを連れて来なかったのに、まだ婚約もしていない彼女を連れては行けなかったんだ。連れて行けないから黙ってたんだけど後からバレて、それで怒っちゃってね。事情を説明しても分かってくれなくて」
「それで、それっきり?」
「仕事がまだ忙しい時期だったし……僕も留守の間に勝手に部屋の模様替えとかされて彼女に腹を立ててたのもあって、仕事が落ち着いてお互い冷静になってから話し合おうと思ってたらその間に着信拒否されちゃってね」
「模様替えって、あの棚のピンクの布ですか」
 きれいと言えばきれいだけど、男の人の部屋には不釣り合いな安積さんの部屋の猫づくしの飾り棚のピンクの敷布。好意できれいにしてくれてたんだから文句も言えなかったんだろうな。
 怒っているというか、困った顔の安積さんの気持ちも分かる。
「そう。男の部屋にあれはないだろう? 物の置き場所も勝手に変えられてしばらく不自由したし」
「そう言えば、消毒液も行方不明でしたよね」
 相手のことより自分の趣味優先な彼女だったんだな。おまけに自分の化粧品は取りやすい所に置いて、部屋の主の物は押し入れかどこかに突っ込んじゃうなんて身勝手な人だ。
 別にオレは女の人が嫌いで男に走った訳じゃないから、女というだけで嫌う気も貶す気もないけど、そんな恋人はごめんだ。
「でも何の話し合いもなく別れちゃったんですか?」
「拒否されてるのにあんまりしつこくしたらストーカーと思われそうだから、向こうからの連絡を待ってたんだけど……もう2ヶ月になるかな、連絡が付かなくなって」
 2ヶ月か。それだけ連絡が付かないならフェードアウトで別れたと思っていい期間かも。
 だけど、もしかしたら……そんな想いで勝手に模様替えされた部屋も、彼女の物も何も動かせずに居たんだろう。
 後にも退けず先にも進めず。のほほんと悩み事なんてなさそうな人に見える安積さんも、恋には悩まされてきたんだ。ちょっと近親感が湧いちゃうな。
「女の人は難しいね」
 安積さんは困ったような顔でオレの方を見ながら頭をかいた。
 彼からすればオレも彼女とケンカ中の身という同類のはずなんだろうけど、同意を求められても女の人とは付き合ったことがないから分からないし、「いっそ男に乗り換えてみませんか?」とも言えないし、オレは愛想笑いをしておくしかなかった。

 でも、これで安積さんがオレにこんなに親切にしてくれる理由が分かった。安積さんは人恋しかったんだ。
 オレが常に誰かに愛されていたいと思っているように、安積さんは誰かを愛していたい、“愛したがり屋” なんだ。
 安積さんは優しくできる誰かが欲しかったんだ。オレじゃなくても誰だって。それでもオレは声を掛けて貰えて嬉しかった。


 これは愛されたい者と愛したい者の運命の出会いだ! ――と思うことにして、オレはもう安積さんに全力で甘えることにした。
「あ! これなんてすっごく触り心地いいですよ」
「どれ? あ、本当だ」
 嫌な流れの話を吹っ切るように、ことさらに明るくマットレス探しに戻ったオレに、安積さんも気分を切り替えて乗ってくる。
 これでバイト代を貰う気はないけど、今夜もこのまま安積さん家に泊めて貰っちゃおう。
 明日のことは明日考える。
そこからはオレはもう安積さんと楽しくお買い物モードに突入した。

(up: 10.Nov.2007)

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