あなたの胸で眠らせて −19−

 まだ十分夏を感じさせる日差しに、思わず建物の影を選んで歩いてしまう。
 日陰に入りふと視線を上げると、ビルのショーウィンドウに目がいって立ち止まった。
 ショーウィンドウには、ブーツだのジャケットだのと早々と秋の装いが飾られている。
 ずいぶんと気の早い事だと呆れるが、オレをショーウィンドウの前に立ち止まらせたのは中の商品ではなく、ガラスに映った自分の姿だった。
「やっぱりちょっとひどいよなー、これ……」
 うっすらとウインドウに映っているだけでも十分派手に見える自分の髪を引っ張って眺めながら、オレはひっそりと独りごちた。
 まったく、何だってこんなことに……


 今日は朝から昨日の残りのクリームシチューをお腹いっぱい食べて、安積さんにまた遊びに来るって約束をして、幸せいっぱいの気分で安積さんの家を出た。
 一端マンションに戻り、それから浩二が帰ってくるまでに時間があったから――これもオレから浩二に何度もメールをしてようやく聞き出したんだけど、とにかく夕方までの時間をもてあましたオレは、ヘアサロンへ髪を染めに行ったんだ。
 オレは普段、ハイライトは少し明るめのアッシュブラウンだけどローライトをかなり暗めのブラウンにしてるから、髪が伸びてきてもそんなにすぐには地毛の色は目立たない。
 だからまだしばらくは染めなくても大丈夫だったんだけど、今日はどこから見ても一分の隙もないくらいにしておきたかったんだ。
 浩二が惚れ直すくらいに完璧な姿で浩二を迎えたかったから。
 ついでに気分を変える為に、今よりもう少し明るい色に変えたかっただけなのに。
 いつものヘアサロンのいつものスタイリストさんに、いつもよりちょっと明るめの色にと頼んだだけなのに、ベースがオレンジ系でハイライトの部分は光の加減によっては金色に見えるほど明るい色にされてしまった。
 似合って無くはないけれど派手すぎて、これじゃあ夏休みに羽目を外しちゃった高校生って感じの弾けっぷりだ。
 スタイリストさんはしばらくしたら落ち着いてキャラメル色のいい感じになるなんて言ってたけど、ホントかなあ。と言うか、そのしばらくの間はどうすればいいんだよ。
 一応バイトも接客業だから、髪を染めるのは禁止まではされてないけどあまり派手な色はマズいのに。
 とはいえ間隔を開けずすぐに染め直したら髪が傷んじゃうかもしれないし、ここはスタイリストさんの言葉を信じて待つしかないか。
 そう諦めを付けたオレは、ショーウィンドウから離れて次の目的地へと向かって歩きだした。

 目的地と言ってもオレが向かった先は、通い慣れた駅前のショッピングセンターの中のスーパー。
 だけど今日はいつもとちょっと違う。
 浩二からのメールで夕飯は一緒に食べられるとあったから、早速じゃがセロウィンナーを作って振る舞ってみようと材料を買いに行ったんだ。
 生鮮食料品売り場なんて普段は足を踏み入れないコーナーだったから何がどこにあるのかさっぱり分からなくて、何度も同じ場所を行きつ戻りつしてしまった。
 だけど何とか無事にジャガイモとセロリを探し出し、お肉コーナーでも何種類もあるウィンナーにどれがいいのか散々悩んだけど、安積さん家で見たのと恐らく同じだろうパッケージのものを見つけてそれに決めた。
 後はいつものように総菜コーナーでお寿司やサラダなんかを選び、ついでにフードコートで軽く昼食を摂ってからマンションへと戻った。
 後は浩二の帰りを待つばかり。
 帰りの詳しい時間が気になったけど、あまりしつこくメールをして鬱陶しがられるのも嫌だから、取りあえず夕方―― 日が落ちるまでくらいはメールを出すのは我慢しよう。
 そうなると他に行く場所もなくすることもなくなったオレは、窓を開けて空気を入れ換えて、ちょっと掃除なんかしたりして時間を潰した。


 掃除も終えていよいよすることもなくなったオレは、何となく付けてみたテレビの再放送のドラマのあまりのつまらなさについソファでウトウトしてしまっていたらしく、目を覚ますと部屋の中はもう薄暗かった。
 もうそろそろ浩二にメールをしてもいいかな? そう思いながらうだうだと携帯をいじっていると、玄関の方でガチャッと鍵を開ける音がした。
「帰ってきた!」
 浩二が帰ってきたんだ。オレは素早く立ち上がると玄関に向かった。
 リビングを出て廊下に出ると、もう玄関が見える。
 浩二は手にしていた鞄を足下に置いて靴を脱ごうとしていたところだったようだけど、オレが出てきたのに気付いたのか動きを止めて立ち上がった。
 オレははやる心を抑えてごく普通に歩いて玄関に行くと、浩二と正面から向かい合った。
 久しぶりに見る浩二の姿。
 久しぶりって言ったってほんの10日ほど会ってなかっただけなんだけど、もうずいぶんと会っていないような気がして目の前の浩二をじっと見つめた。
 細いストライプが入ったグレーのスーツに淡いサーモンピンクのネクタイが、しつらえたように似合っている。浩二は着る物にお金をかけてるから、実際にオーダー品だったりするのかもしれない。
 髪型もちょっと癖のあるミディアムショートの髪をラフに流しているだけなのに、それがすごく決まって見える。
 浩二は以前と変わらず、ビジネスマン向けメンズカタログから抜け出たような完璧さでそこにいた。
 思わず視線が行ってしまう印象的なくっきりとした二重の大きな目を微かに細め、軽く端を上げて微笑むと言うより何か企んでそうな不敵な笑顔も久しぶり。
 この自信ありげな微笑みで、実際に車に乗るのは旦那でも購入決定権を持つ奥様のハートをがっちり掴み、トップセールスを誇っているのもうなずける。
 そんな浩二にまずは“おかえり”と言おうとしたオレより先に、浩二が口を開いた。

「またずいぶんと思い切った色に染めたな。誰の好みだ?」
 オレがたった数日でもう他の男を作って、そいつの好みに合わせて髪の色を替えたと思ったのか?
 浩二の言葉にカッと頭に血が上ったオレは、咄嗟に手が出てしまった。
そんなに力は入れてなかったけどクリーンヒットしたオレの手は浩二の頬を打って、玄関にパンと小さな音が響いた。
 無抵抗で突っ立ったままだった浩二は軽く閉じた目を開くと、反撃するでもなくオレを見てにっと笑った。
 そんな顔ですら様になるのが憎らしい。
「少しはすっきりしたか?」
 オレはそんなに運動神経のいい方じゃないから、よけようと思えばよけられただろうに。
 殴らせてオレの怒りや鬱憤を発散させるために、わざとオレが怒りそうなことを言ったのか。
 よけられたらよけられたで腹が立つだろうけど、余裕で受けられても腹が立つもんだな。
 とにかく何にしたって質の悪い挑発だ。
 オレは今日はけんか腰は絶対駄目、穏やかに話し合おうと思ってたのに思いっきり出鼻をくじかれちゃったじゃないか。
 だけど、今からでも遅くない。落ち着こう。大丈夫。安積さんの笑顔を思い出してクールダウンに努める。
 問いかけるように軽く首をかしげて微笑む安積さん。オレもあんな風に優しく接すれば上手くいくような気がする。
「開口一番それはないだろ。おかえりも言ってないのにひどいよ」
 いつもならマシンガンの勢いで言い返してくるオレの、意外なしおらしい反応に浩二はずいぶん驚いたようで、口元の笑みを消して真面目な表情になった。
「悪かった。俺を殴りたいだろうと思って気を利かせたつもりだったんだが」
「そんなおかしな気の使い方しないでくれる? まあ殴りたい気持ちが無いわけじゃなかったけど」
 浩二の言い様に呆れて脱力する。確かに力と共に怒りも少し抜けた気がするけど。
「しかし、その髪はどうしたんだ?」
「これはちょっと気分を変えたかっただけ」
「そんなに辛かったのか? 俺が、他の男と寝たことが」
「相変わらず自意識過剰だね。別にヤケを起こしてこんな色にしたわけじゃないよ。サロンで気分転換にちょっと違う色にしてって言ったら、何故かこんな色にされちゃったの」
 真面目な顔からまたいつもの不敵な笑みを浮かべた表情に戻った浩二に、オレは呆れながら反論した。
「そうか。でも似合ってるよ」
 そう言いながら浩二は悪戯っぽく指でちょいっとオレの前髪を弾いた。
「オレは基がいいから、何でも似合うの」
 オレはその弾かれた前髪を直しながら平然と言い放つ。
 自信家の浩二に負けずに張り合う。
 どこか芝居じみた会話。
 だけど、浩二はこんなやり取りが好きなんだ。浩二はオレの反撃に楽しそうに微笑んだ。
 オレってば結構落ち着いてるな。なかなか穏やかないい雰囲気になってきたじゃないか。これは無事に仲直りができそうじゃない?
 だけど、はっきりさせるべき事ははっきりさせておかないと。

「ところで、雅洋はどうしたの? 一緒じゃないの?」
「ヤキモチを焼いてくれるのか?」
 何でそうなる? 嬉しそうに微笑む浩二に信じられない思いで反論する。
「そんなんじゃないよ。はっきりさせたいだけ。オレよりもあいつの方がいいって言うなら、オレは出てくから」
「出て行くなんて、ひどいことを言わないでくれよ」
 浩二はわざとらしく傷ついた表情で言いながら、そっとオレの肩に触れてくる。
 それだけのことで心臓がドキンと跳ね上がる。久しぶりの浩二の手。薄いTシャツ越しにそのぬくもりが伝わってくる。
 だけどこのぬくもりも、オレの物じゃないんならもう要らない。
「あのベッドでだけは浮気しないでくれって言ったのに、それでも雅洋を連れ込んだって事は、浮気じゃなくて本気って事なんじゃないの?」
「あれは不可抗力だ。相談に乗ってたんだよ。その内にほだされちゃって、それだけだ」
「それだけって」
 ばっさり切り捨てる浩二に食い下がる。
 大体ベッドでしなきゃいけない相談って何だよ。身の上相談ならぬ身の下相談か? なんて親父ギャグが頭に浮かんでしまう。
「始めから浮気するつもりだったなら、家につれてきたりしないでホテルに行ったさ。相談に乗るだけのつもりだったから家に呼んだんだ」
「相談って? そんなの喫茶店かどこか外ですればいいじゃない」
「人に聞かれたらマズい話だったんだよ。松坂と別れたいって、それで相談に乗って欲しいって言われてね。こんな話、外ではできないだろ? だからってホテルに行くわけにもいかないし」
 確かにそんなこと、男が男と恋仲でそれがこじれて――なんて話、迂闊に外ではできやしないし、相談の相手も限られてくる。
 だけどやっぱり、ベッドの中でする必要はないだろう。
「それで、浮気すれば別れられるとか言って犯っちゃったわけ?」
「そうじゃないよ。色々酷いことをされて、どうしたらいいのかって泣かれちゃって……それで可哀想になって慰めてるうちに……まあ、言葉だけじゃ足りなくなってね。泣いてる子を放ってはおけないだろ?」
「言葉を尽くして慰めろ」
 それで何でベッドに引っ張り込んじゃうかな。
 悪びれた様子もなく肩をすくめて言う浩二に、怒る気力も失せ果ててオレは本気で頭を抱えた。

 だけど雅洋って奴のことは、あの日チラッと見ただけだったけど大人しそうと言うか、気の弱そうな奴に見えた。
 どう別れを切り出していいか分からなくて相談してきたというのも、慰めてくれる浩二の優しさに流されてついってのも納得がいく。
 あの松坂と別れたくなる気持ちもよく分かる。と言うか、まずよくあんなのと付き合う気になったな。
 ……もしかして無理矢理、とかだったのかな?
 ゲスな勘ぐりだけど、松坂はオレに襲いかかってきたくらいだから、あり得るだろう。あんな気の弱そうな奴なら、押し切られてそのままズルズル関係を持たされてたとしてもおかしくない。
 だとしたら、ちょっと可哀想かも……なんて同情的な気分になってきた。
「言葉だけじゃ慰めきれないこともあるだろ? あのまま話だけ聞いて放っておくなんて、できなかったんだ」
 そんなオレの気分を見透かしたように、浩二は“可哀想な雅洋にほだされてつい出来心で”って方向に話を持って行いこうとする。
 一応筋は通ってるし、作り話ではなさそうだ。
 浮気した事実は変わらないけど、そんな事情があったなら仕方がないかなんて気になってきた。
 だけど、あのベッドにだけは連れ込まないで欲しかったな――

「あのベッドが嫌になったのなら、買い換えるよ」
 思わず廊下の奥の、寝室の方に目をやったオレの心を見透かしたように、浩二がとんでもないことを言ってきた。
 ベッドを買い換えるって事は、あのベッドを捨てちゃうのか?
 オレのお気に入りの、大事なあのベッドを?

(up: 30.Oct.2008)

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