あなたの胸で眠らせて −6−

 浩二はいつも朝は大抵オレより早く起きる。
 社会人って大変だなーと人ごとのように思いながら、浩二は放っておいてオレは自分の目覚ましが鳴るまでベッドの中でもうしばしの惰眠を貪る。浩二もオレのことにはお構いなしで、出勤の用意をすませてさっさと出掛けてしまう。
 だけど今日はちょっと違った。もぞりと動いた気配はあったが浩二は布団から出ないし、オレの肩からずり落ちてたらしい布団をかけ直してくれたりする。
 あれ? 今日は休みの日だっけ? 休みの日の浩二は優しい。眠ってるオレの首筋や、背中にキスしてくれる。
 ――そうか、うん、今日はお休みなんだ。ずっとこうして一日中ふたりでゴロゴロしていられるんだ。嬉しくなってオレは浩二の胸に身をすり寄せる。くすぐったいのか浩二がクスリと笑う。オレも釣られて微笑む。
 いいなぁ、ずっとこうしていたいなあ。いつものこのベッドで………… ん?
 そこまで思って違和感に気付く。やたらと硬い。マットがやけに床みたいに硬い。くすくす笑ってるのも浩二の声じゃないような――
 そうっと目を開けると、安積さんと目があった。
「……おはよう」
「うわあ! 安積さん! え? 何で安積さん?」

 オレは寝起きが悪いと言うか、たまに寝ぼけるのだ。寝起きのオレはまったく頭が回らなくておかしな事をしてしまう。昼寝をしていたはずなのに目が覚めたら慌てて学校に行こうとしたり、トイレに行こうとして冷蔵庫を開けたり……。
 今回オレは何をやらかしたんだ?
 昨夜の記憶をたぐり寄せる。
 ――ああ、そうだ。オレにベッドを乗っ取られて安積さんが床で寝る羽目になっちゃって、明け方になってそれに気が付いたオレはベッドから降りて……安積さんに勝手に添い寝してしまっていたんだ。
 安積さんの布団の中でちょっとぬくぬくさせて貰ったら布団から出ようと思ってたのに、オレってば結局あのまままた寝ちゃったんだ。
「ホントにすいません。ごめんなさい」
 慌てて布団から這い出したオレは、床の上に座り込んで土下座の勢いで頭を下げた。
「あのままベッドで寝ててよかったのに、わざわざ床に降りちゃったんだ。そんなに気を遣わなくていいのに」
 安積さんも起き出すと、オレの前に座る。
「全然良くないです! 勝手に部屋に入っちゃっただけでも申し訳ないのに、ベッドまで乗っ取っちゃって」
「いいんだって。やっぱり一昨日あまり眠れなくて寝不足だったんだろ?」
「いえ、そんなこと無いです! しっかり寝ました。ただ昨日は色々あったんで疲れちゃって、そのせいで……ホントすみません」
 謝りたくるオレの頭を、安積さんは笑顔でくしゃくしゃと撫でた。
「仲直り、出来なかったんだ」
「あ……いえ、その……仲直り以前の問題でして……」
 説明しようと顔を上げると、安積さんはオレの頭から手を放した。もうちょっと撫で撫でして欲しかったなーなんて思いつつ、オレはまた締め出しを食らった経緯を安積さんに説明する。
「それじゃあ僕が引き留めたせいですれ違いになっちゃったんだ……ごめんね」
「ええ? 何言ってるんですか」
 浩二の会社に連絡して出張を知ったという件辺りで、安積さんは申し訳なさそうに眉を下げて謝ってきた。
「安積さんが声を掛けてくれなくても、オレはあの時まだ帰る気なんて無かったから結局閉め出されてましたよ。その上安積さんが泊めてくれてなきゃ、マンションの廊下で夜を明かすことになっちゃってました」
「だけど」
「そうなんですってば!」
 言い切るオレに安積さんは少し笑顔を取り戻す。
「でも、これからどうするんだい?」
「浩二の会社――あっ! えっとその……あいつの会社に電話してマンションの管理人さんに連絡するよう伝言してくれって頼んだんで、連絡が付けば鍵を開けて貰えると思いますから、それまでは大学の友達の所にでも泊めて貰います」
 思わず浩二の名前を言ってしまって慌てて訂正する。安積さんはちょっと首をひねったけどただの言い間違いと思ったらしく、突っ込んでは来なかった。ああ、焦った。

 あっちこっちで小さな嘘を付きながら生きてるから、たまにボロが出そうになる。嘘を付いていることにちょっと胸が痛むこともある。だけど今の世の中、やっぱり男の恋人が居るなんてそう認めて貰える事じゃないから仕方がない。
 それに、誰だって人に言えないことの一つや二つ黙って抱えて生きてるはず。――そんな風に自分に言い聞かせて気持ちを切り替えると、オレはポケットから安積さんから渡されたお金とテレフォンカードを床の上に出して安積さんの方に差し出した。
「あの、これ。ありがとうございました。バイト先からバイト代の前借りができたんでお返しします。テレフォンカードは会社に電話を掛けるのに使わせて貰っちゃったんで買い取らせてください」
 新しいのを買って返そうにも、テレホンカードなんてどこに売ってるのか知らなかったから。
「テレカはあげるよ。使う機会が無くて仕舞いっぱなしになってたものだから。それにお金もまだ返してくれなくていいよ。ちゃんと家に帰れてからでいいから」
「でも……」
「何でお金が必要になるか分からないんだから、持ってなさい」
 借りっぱなしじゃ悪いと気が引ける一方で、これでまたこれを返しに来るっていう安積さんに会う口実が出来るのが少し嬉しかったんで、オレは素直に引っ込めた。
「ところで携帯が無くて、泊めてくれそうな友達とどうやって連絡を取るの? 管理人さんに話が付くまではここにいれば? 狭いけど、寝るだけなら何とかなるよ」
「いえ、そんな! そこまでして貰うわけには。これから大学に行って、部活で来てる誰かを捕まえてそこから連絡を取ります」
 ここに居させて貰えればマンションからもバイト先からも近いし、ご飯は美味しいし、ひとりで寝なくていいしといいこと尽くめなんだけど、やっぱり遠慮が出てしまう。
 またお金を返しに会いに来るっていう切っ掛けはできたから出て行こう。
「そっか。君も友達の家の方が落ち着くよね。でももし泊めてくれそうな友達と連絡が付かなかったら家においで」
 安積さん、今日もやっぱりいい人だ。こうやってさりげなくフォローを入れてくれる。
「そうだ。一度実家の方に帰るっていうのはなしなの?」
「なしです。バイトがありますし、大学ももうすぐ始まるし。それに、家にはちょっと……その……病人がいて面倒掛けたくないんで」
「ああ……そうなんだ」
 そうだよな、こんな時には普通は実家に帰るよな。だけどオレは家には帰れない。
 中学時代から正月とかお盆休みとか、どうしても寮にいられない時以外は帰らなかった。大学生になってからのこの2年間は一度も帰っていない。
 あそこにはまだオレの部屋はあるけど、オレの居場所はないから。
 思い出したくないことを思い出しそうになって、オレは慌てて思考を切り替える。

「そんなわけで、今日はこれからマンションに寄って、まだ連絡が付いてなければ友達を捕まえに大学に行ってきます」
「宮本君、今日はバイトはお休みなの?」
「この土日は休みを取ってたんです」
 オレはこの土日に久しぶりに連休を取ってたんだ。先週は休み無しで働いたし、今月から休んでいたパートのおばさんも復帰して、休みが取れるようになったから。
 だからこの週末は、来週から海外出張に出る浩二と目一杯一緒に楽しく過ごすために休みを取ったっていうのに! このところ相手が出来なかった分の埋め合わせはしっかりするつもりでいたのに!
 沸々と黒い怒りが湧いてくる。だけどぶつける相手は居ないんで、この怒りを行動力に変えて発散しよう。
 でもまだ時間が早いかな? と、時計を見ると時刻は8時を回っていた。
「安積さんも土日はお休みなんですか?」
「うん。この時期はね。でもそろそろ起きて朝ご飯にしようか」
 確かに休みの日だからって、いつまでもふたりして布団の前に座り込んで話し込んでいるのも何だ。
 夜にはあんなに空いていたお腹は、もう麻痺しちゃったのか諦めきったのか空腹感はなかったんだけど、朝ご飯と聞くとちょっと反応を示した。
「机の上にあったハンバーグ、宮本君が持ってきてくれたんだよね。ありがとう。冷蔵庫に入れておいたから、あれを食べようか」
「え? 朝からハンバーグですか?」
 昨日の夜はすっごく食べたかったけど、朝から、しかもこの空きっ腹にあれはヘビーだ。
「あ、宮本君も朝からこってり系は駄目なタイプなんだ。僕は朝から肉で全然平気なんだけどね」
「すみません。安積さんは良かったら食べてください。オレは別に……」
「じゃあハンバーグは晩ご飯にすることにしてパンとサラダだけ食べよう。パンはあまり置いたら硬くなっちゃうしね。卵を茹でてクロワッサンサンドにしようか。フランスパンはバターと煉乳を塗って焼くと美味しいんだけど、宮本君は甘いパンって苦手?」
「いえ、菓子パン好きですから甘いパンもいいですけど、煉乳って……あの苺にかけるやつですか? そんなの塗って焼いたら焦げませんか?」
「それが意外と焦げないんだ。パンがしっとり柔らかくなって美味しいんだよ。手軽で簡単だし」
 安積さんって本当に料理というか、美味しい物に対するこだわりがスゴいな。
 ……食べることに関心が強い人は、セックスにも関心が強いって言うけどホントかな? なんてエッチなことを考えてしまってそんな自分を慌てていさめる。安積さん相手にそんなことを考えてはいけないんだ。
「じゃあ用意をしておくから、シャワーを浴びておいで。昨日はお風呂に入ってないんだろ?」
「でも安積さんは?」
「僕は寝る前にシャワーを使ったから」
 言われてみれば安積さんはちゃんとパジャマにしているTシャツとスウェットに着替えていた。オレってば安積さんが帰ってきてシャワーを浴びて着替えてって、結構ゴソゴソされてたのに気付かずに寝てたのか。
「一昨日余分に買ったパンツがまだ一枚あるから出してあげる。履き替えたパンツは前のと一緒に洗濯機に入れておいて。これから洗濯をするからついでに洗っておくよ」
「悪いですよ、そんな……」
「でも使用済みパンツをいつまでも持って歩くっていうのは、ちょっとどうかと思うよ?」
 にっこり笑顔で突っ込まれると何も言えなくなる。別に手洗いされるわけじゃないし、ここは素直に洗濯機に突っ込ませて貰おう。


 結局オレはまた一昨日と同様に、パンツとバスタオルを借りてシャワーを使わせて貰うことにした。
 脱衣所でシャツを脱ぐと、ちょっと気になって鼻を近づけてくんくんと嗅いでみた。夜この服のまま寝ちゃったから寝汗をかいたんじゃないかと思ったんだ。
 最近は涼しくなってきてたお陰か、まだ汗臭くまではなってないのに安心したけど、もうそろそろ着替えなきゃ。学校に行った帰りに着替えを買ってこよう。
 何だかやらなきゃならないことが次々と降りかかってきてげんなりする。
 そんな気分を変えようと、お湯の設定を熱めにして浴びた。
 熱いお湯が肌の上をはねて気持ちがいい。顔からシャワーを浴びながらうんと背中を反らすと、背中がポキポキと鳴った。やっぱり床で寝るのは背中が痛いよな。
 安積さんも寝苦しかっただろうな。安積さんにはホントに悪いことをしちゃった。なのに怒りもしないでこんなに良くしてくれて。
 ホントに下心無しでここまで他人に親切にできる人なんているんだろうか?
 安積さんがノーマルなのは部屋に置いてある化粧品や女性向けの雑誌なんかから見て間違いないと思うんだけど、何か裏があるんじゃないかと今更ながらだけどちょっと不安になってきた。
 だけどあの笑顔が、あの手の温かさが嘘だとはどうしても思えなかった。
 オレはシャワーを止めると、不確かな不安ごと振り払うように思い切り頭を振って水気を飛ばした。
 風呂場から出たオレは、買って貰った歯ブラシを洗面所に置きっぱなしにしてたのに気付いた。安積さんの青い歯ブラシの横に並べて立ててた緑の歯ブラシ。
 ついでなんでそれで歯も磨く。
 身体も口の中もさっぱりして、すっかりいい気分になった。
「あれ? そういえば……」
 タオルで頭を拭きながら何気なく洗面台を見ていて、ある違和感を覚えた。あるはずの物が無い――?
「宮本君、もう用意できた? パンが焼けたよー」
「あ、はい!」
 安積さんの声に、オレは考え込むのをやめて洗面所を出た。

(up: 19.Apr.2007)

Back  Novel Index  Next 

Copyright(c) 2007 Kanesaka Riiko, All Rights Reserved.