あなたの胸で眠らせて −8−

 大学に着くまでの間、松坂は運転をしながらずっと自慢話を中心にしゃべり続けていた。
 松坂が話してくれていれば、こっちは適当に相づちを打っておけばいいから楽と言えば楽なんだけど、走行中はこっちを向かずに前を向いてしゃべってくれ。
「松坂さん、前を見て運転してもらえませんか?」
「だって俊ちゃんが可愛いから、つい見ちゃうんだよね」
 ……寒い。何で9月の頭にこんな鳥肌を立てなきゃならないんだ。オレはなるべく、決めたつもりで恰好付けて髪をかき上げる松坂から離れてドアに張り付くように座り、しっかりとシートベルトを握りしめた。

 何度か前の車に追突するんじゃないかと冷や汗をかかされながらも、何とか無事に目的地の『享和大学』にたどり着くことが出来たオレは、そっと溜息をついた。
「じゃあここで待ってるから。早く帰ってきてねー」
 車を降りようとするオレに、長い前髪の間から上目遣いで松坂が言ってくる。
 本人は健気な男を演出してるみたいだけど、鬱陶しいだけ。
「ありがとうございました。もう十分ですから、本当に待っていてくれなくてもいいんで帰ってください。松坂さんはお忙しいんでしょ?」
「俺に気を遣ってくれるんだ。俊ちゃんってば優しいね」
 なんて言いながら俺の膝に手を乗せる、というか這わせてくる。マジで気持ち悪いんですが。
 こういう無駄にポジティブな人には何を言っても無駄だよな。これ以上何を言っても都合よくしか解釈してもらえないと踏んだオレは、もうこの人のことは気にしないでとにかく用事を済ませよう車を降りて学内に入った。


 夏休み中な上に今日は土曜日とあって、学内は閑散としている。
 だけどお目当ての友人、バスケ部の中河大輔(なかがわ だいすけ)は9月の終わり頃にある大会に向けて、休み無しで練習すると言っていたから居るはず。
 中河はこの大学内では唯一オレの性癖を知っている友達。
 オレが男が好きだと知った上でそれまでと変わらず友達で居てくれてる。しかもアパートで1人暮らし。
 隠し事無しで泊めてもらえる最良の相手だ。

 中河に事がバレた切っ掛けは些細なことだった。
 有名な海外の俳優さんがゲイで、男と結婚したのを公表した。その話題になったときに冗談めかしにぽろっとオレも男の恋人が居るって言ったんだ。もちろんすぐに冗談だと言おうとしたんだけど、中河はあっさりそれを受け入れてしまった。
「ふーん。そうなんだ」
「そうなんだってお前……」
「オレの高校時代の友達にもいたよ」
 何でそんなにあっさりこんなことを受け入れてくれたのかと思ったら、そういう訳か。
「そいつが男と付き合ってるって、何で分かったんだ?」
「あいつは言葉使いとか態度とかがほら、オカマって言うかオネェ? みたいな感じだったから隠すも何もなかったから。でも普通に付き合う分には面白い奴だったし、オレ達友達に迫ってくることもなかったから別にいいかなって。少なくともオレは気にしてなかったし、気にしないよ」
 そう言ってごく普通に笑った。
「オレを口説こうとしない限り友達を止める気はない」と言う中河と、オレは一生友達でいたいと思った。


 そんな中河を捜して、オレはバスケ部がいつも練習している体育館に向かったんだけど、入り口には鍵が掛かっていて中に人の気配もない。
「ええ? バスケ部も今日は休み?」
 思わず呟いて辺りを見回してみたけど、誰か捕まえて話を聞こうにも誰も通りがからないし、オレは誰か人がいるだろう7号棟にある総務部に行ってみた。

 夏休みと言っても事務仕事はあるから、総務部には普段より少ないながらも事務の人がいる。
 カウンターに近づくと、一番手前のデスクで仕事をしていた女性職員がオレに気付いてこっちに来てくれた。
「あの、すみません。今日はバスケ部は試合か何かに出てるんですか?」
「バスケ部? ……ちょっと待ってね」
 そう言って一端デスクに戻った彼女はパソコンのキーを叩いてモニター画面を見ると、すぐに戻ってきた。
「大学選手権は23日。今日はただの練習試合に出掛けただけよ」
 事務のお姉さんは深刻そうな顔をしたオレが、観戦するつもりだった選手権の日程を忘れて今日が試合かと勘違いして焦ってるうっかりさんと思ったらしく、にこやかに安心するように言ってくれた。
 お心遣いはありがたいですが、選手権だろうと練習試合だろうとこの場にいてくれないと話にならないんですよ! とは言えず、オレはお礼を言ってその場を後にするしかなかった。
 グラウンドにもまばらに部活の自主練習に来ている人はいるみたいだけど、その中に見知った顔はいない。
 他に当てに出来そうな友達が居る写真部の部室にも行ってみたけど誰も居らず。
 ああ、もうホントに間が悪いって言うか、すべてのことがオレの都合の悪い方に向いているとしか思えない。
 何か憑いてるのか? と、思わず肩の辺りを払ってしまうけど何の意味もなし。
 このまま何の収穫もなくまた松坂と顔を合わすのもげんなりだと思ったオレは、こっそり裏門から出て近くのショップに着替えの服を買いに行くことにした。

 そこは大学近くということもあって、ちょうどオレ達ぐらいの年代の奴が好みそうなデザインと値段の服を置いていて、オレもたまに学校の帰りに立ち寄るから顔なじみになっている。
 ここまで休みだったら泣くからな! と思いつつ歩いていくと、ちゃんと開いていた。店が開いてるなんてどうと言うことのないことがこんなに嬉しいのは初めてだ。
 オレは早速戸口の外に置かれたワゴンの特価品をゴソゴソ漁って、グレーで袖と背中にメーカーのロゴが入っただけのシンプルなシャツを選び、さらに中に入って乾きが早そうな薄手のズボンを選び出した。
 デザインより何より、値段と汚れの目立たなさと洗い勝手の良さを考えての選択。とはいえ一応見た目も大事。試着してズボンの色を黒から深い紺色に変更した。
「面倒なんでこのまま着て帰っていい?」
「いいですよー。じゃ値札取りますねぇ」
 試着室から顔を出して、見立てに付き合ってくれた名前は覚えてないけど顔は覚えてるいつもの店員さんに尋ねると、はさみを持って来て試着してる服の値札を取ってくれた。
 そのまま着てきた服を簡単に畳んでレジへ行くと、店員さんがその服を袋に詰めてくれる。この服は今晩コインランドリーで洗おう。
「バイト代が入ったんですか?」
 会計のために財布代わりの茶封筒を出すと、店員さんに笑いながら言われてしまった。
 そうだよな。これじゃバイト代が入って嬉しくて早速買い物に来たって感じだよな。
「ううん。これが財布。今貧乏なんだ」
 オレが本当のことを言うと、店員さんは冗談だと思ったらしくさらに笑いながらレジをすませた。本当なのに。
 これが財布でこれが全財産。ずいぶん寂しい現実だ。
「そっちの荷物もまとめましょうか?」
「あ、お願いします」
 オレがそれまで持って歩いていた安積さんから借りてる紙袋に茶封筒をしまうと、店員さんがその袋も店の袋の中に入れて1つにまとめてくれた。
 何しろこれが今のオレの全財産。忘れたり無くしたりしたら大変だ。その紙袋をしっかりと持って、オレは大学へと戻った。


 もう他に用もない校舎を素通りし正門に向かうと、松坂の車が律儀にまだ待っていた。
「……帰っててくれりゃよかったのに」
 電車代が浮くより、居なくなってくれてた方が嬉しかったんだけど。
 でもここで無視して電車で帰っちゃったら後でうるさいだろうし、浩二まで何か言われるかもしれない。
 仕方なく車に近づいて助手席側の窓を軽く叩くと、カーナビでテレビを見て暇を潰していたらしい松坂は顔を綻ばせてわざわざ降りてきた。
 またドアを開けてくれるつもりだったらしいけど、オレはそれを無視して自分でドアを開けて乗り込んだ。
「お帰りー、俊ちゃん」
「長い間待っててもらっちゃって、ありがとうございます」
 動機はどうあれ、待っていてくれたんだからお礼は言わないと。
「いいのいいの。あれ? 着替えたんだ。ふーん……。でもちょっと地味じゃない? 俊ちゃんならもっと派手な色が似合うのに。あ、でも俊ちゃんは可愛いから何着ても似合うけどね」
 ――お礼なんて言わなきゃよかった。
 値踏みするようにジロジロ見られて不愉快になったオレは、さっさと車を出せと言わんばかりに前を向いた。
「あ、怒っちゃった? それ、もしかして支倉の好み? 俊ちゃんってば尽くすタイプだもんね。こんなに可愛い俊ちゃんが居るのに、あいつはホントにしょうがない奴だよねー。俊ちゃんの方がずっといいよ」
 何か含みのある言い様をされたのが気になってオレは松坂の方を見たんだけど、今度は松坂が前を向いてしまって話はそこで途切れてしまった。
「さて、じゃあ美味しいもの食べに行こうか! 俺の行きつけの店でランチの美味しいオシャレな店があるんだ。俊ちゃんも絶対気に入るよ」

 やっぱりお茶がランチにまで勝手に進化してる。
 だけどオレが口を挟むまもなく、松坂はご機嫌でエンジンを吹かして発車させた。

(up: 14.Jun.2007)

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