車は市内を抜け、郊外の開発途中で空き地だらけの新興住宅地を進んでいく。一体どこまで行くんだろう? 何か人気のない方に向かっているようで不安になる。
あのおしゃべりの松坂がさっきから黙っているのも気になった。お陰で安全運転なのはありがたいけど気味が悪い。
「ずいぶん郊外にあるんですね。そのお薦めの店って隠れた名店とかってやつですか?」
「名店って程でもないけど、イタリア風でお洒落な店だよ。打ちっぱなしの行き帰りによく寄る店なんだ」
言われてみれば、前方に高いネットが張り巡らされたゴルフ練習場と思しき物が見えている。
ああ、そう言えば行きの車の中の自慢話にゴルフのスコアの話も入ってた。全然聞き流してたけど、週に2、3度ゴルフの練習に行ってるって言ってたっけ。
そんなことを思い出している内に目的の店に着いたらしい。駐車場に車を止めると、また松坂がエスコートしに来そうだったんで、その前にオレもとっとと車を降りた。
松坂のお薦めというその店は、そう大きくはなかったけど白い壁にツタが這って、格子の付いた出窓には色とりどりの花が飾られてたりして、確かにお洒落な雰囲気だった。
店内の壁も白で、黒光りした木貼りの床や柱とのコントラストがきれい。店員も若くて美人を揃えてる。
うーん、やっぱオレのバイト先のファミレスとは違うなぁ、と妙なことに感心しつつ案内の店員に付いていくとテラス席に案内された。
時分時を過ぎた店内は空いていて、もうランチと言うよりお茶をしに来たお客さんが何人か居る程度だった。少ないとはいえ、こんな郊外の店のこんな時間にしては多い方だろう。やっぱり口コミとかでそこそこ流行ってる店なんだろう。
それにこんな晴れた日に、外のテラスでランチが出来るなんていいよな。相手に問題ありだけど、この際目をつぶろう。
周りが住宅地で高い建物がないせいでテラス席は普通より開放感いっぱいだし、風通しもよくて気持ちがいい。
メニューもカボチャのニョッキとかラザニアとか一々お洒落だし、ドルチェの種類も豊富だった。目移りしちゃったけどまだランチでいける時間だったんで、オレは素直にランチメニューのピザセットを選んで注文をすませた。
「こんな所にまで練習に来てるんですか」
料理を待っている間黙っているのも気詰まりなんで、テラスからも見えるゴルフ練習場をネタに話を振ってみる。
「あそこはいいコーチが居るから。俊ちゃんもゴルフするの?」
「始めたばっかりですけど」
社会に出たら必要になるからって、就職が決まった大学の一学年上の友達が始めた影響で、オレも最近打ちっぱなしに行き始めたんだよな。
「クラブはどこのを使ってるの?」
「どこって……特にこだわってません。と言うか、まだ本当に始めたばっかりなんで、浩二のを借りてすませてます」
浩二の使わなくなった古いクラブを、グリップだけ交換して使ってる。シューズだけは浩二のじゃサイズが合わないんで買ったけど、初心者にはそれで十分だ。
「あいつってばゴルフクラブも買ってくれないわけ? 俺ならセットでプレゼントしちゃうよ。だから今度一緒にコース回ろうよ!」
「いえ、ホントにまだ練習場で真っ直ぐ150ヤードほど跳ばすのがやっとなんですよ」
「大丈夫、大丈夫。真っ直ぐ跳ぶなら平気だよ」
こんなビギナーをコースに連れて行くなんて、無謀というか周りに迷惑。最低でも180ヤードは安定して出せるようにならないとコースデビューは無理だって浩二にも言われた。
オレだって始めたばかりだけど、その程度の常識はわきまえてるのに何を言い出すんだこいつは。
周りの迷惑を顧みない松坂の発言に愛想笑いも引きつる。
「でも、もう少し跳ばせるようにならないと……」
「大丈夫! 俺が教えればすぐに上手くなるって。俺も最近やっとハンディ30切ったばかりだけど、レッスンプロについてちゃんと練習してるから支倉よりは上手いよ。俊ちゃんにも教えてあげるから。これから買い物に行ってさ、ゴルフウェアもクラブも何から何まで全部揃えてあげる。俊ちゃんならウエザキのウェアとか似合うんじゃないかな」
ゴルフはいつからウェアで勝負するスポーツになったんだろう。似合うからどうだって
いうんだ。
「ヘタクソが恰好だけ決めても恥じかくだけなんでいいです」
「遠慮してるの? 可愛いなぁ俊ちゃんは。遠慮しなくていいんだよ、こんなのいくらでも経費で落とせるんだから」
いや、それ普通に犯罪だろう。こんな税理士を雇ってて大丈夫なのか、浩二の勤め先。
呆れている所に料理が来たんで、これ以上は付き合いきれないと思ったオレは食べるのに専念することにした。
料理は前菜のサラダからデザートのパンナコッタまで文句なしに美味しかったんだけど、松坂にオレにはどこのメーカーのウェアが似合うかを延々と推測され続けたのには参った。
奢って貰って何なんだけど、疲れた。
せっかくの美味しい料理も台無しだ。安積さんとだったら楽しかっただろうな。と、思ったところではたと気付いた。何でここで浩二じゃなくて安積さんが出てくるんだ?
まあオレはまだ浩二の浮気を許したわけじゃないし、このところ一緒にご飯を食べてくれる人は安積さんだけだから……
独りで居るのが嫌いなオレは、当然ながら食事もひとりでするのは嫌いだ。料理が出来ないからってのもあるけど、コンビニなんかで弁当を買って帰るよりは外食にする。
赤の他人でも何でも、とにかく周りに人が居る分ひとりよりましだ。――そのはずなんだけど、例外が出来たな。
松坂と食べるくらいならひとりがいいや。
「さて、それじゃウェアとクラブを買いに行こうか」
車に乗り込みこれでようやく帰れると思ったオレに、松坂は当然のように言い放って車を走らせ始めた。オイオイ、どこに連れて行く気だよ。
「いえ、本当に結構ですから」
「遠慮しないでって。買って上げるって言ってるのに、俊ちゃんってばホントに奥ゆかしくて可愛いよね」
何で遠慮するのが可愛いに繋がるのかよく分からない。下心見え見えの奴にゴルフクラブなんて馬鹿高い物を買って貰って、タダで済むなんて思ってないだけだ。
「まだ浩二のクラブで十分ですから。コースもまたもう少し上手くなってから誘ってください」
「それは俺より浩二の方がいいってこと?」
「オレまだ全然ヘタクソなんで、迷惑掛けちゃいますから」
分かってるなら聞くなよ。と、言いたいところだけどはっきり言えれば苦労はない。そんな言葉を選んで断るオレの顔を松坂はじっと見つめてくる。
だから、運転中によそ見をするなよ! いくらこの道が広くて車通りが少ないと言ったって、危ないじゃないか。
「あの、松坂さん。危ないから前を向いて運転してくれませんか」
「だってもっと俊ちゃんを見ていたいんだもん。ねえ、どこかでゆっくり話さない?」
「オレ、もう家に帰りたいです」
こいつ、やっぱりそういう腹かよ。それにしたって真っ昼間から友達の恋人を口説こうなんて、どこまで非常識なんだ。
帰れる家はないんだけど、とにかく早くこいつと別れたかった。
「支倉が待ってるって? あんな浮気者に義理立てする事なんて無いよ。ちょっと留守にしてる間に、ふたりで住んでる家に男を引っ張り込むなんて最低じゃない」
「な、何で……あなたがそんなことを」
呆れてそっぽを向いてたけど、松坂の言葉に驚いて奴の方に振り返った。
ほんの2日ほど前の、浩二とオレだけの話を何でこいつが知ってるんだ? 浩二から聞いたのか? 出張前のバタバタした時に呑気にそんな話をしていたとも思えないけど……
困惑するオレににっこり微笑むと、松坂はまだ整地もされていない空き地の横の路肩に車を寄せて止め、オレの方を向いて話しだした。
「雅洋(まさひろ)から聞いたんだよ」
雅洋? 誰だよそれ。突然出てきた聞き覚えのない名前にさらに困惑する。
「俊ちゃんも一度会ったことあるでしょ? ……君のベッドルームでさ」
「あ! あいつ?」
浩二の浮気相手! あいつ雅洋って言うのか。でも、でも何で松坂がそいつのことを、て言うか、どうしてそんなことを知ってるんだ?
「支倉もさ、酷い奴だよね。俊ちゃんみたいな可愛い恋人が居るのに、人の恋人に手を出すなんてさ。まあ、俺と雅洋は一緒に暮らしてたわけじゃないけど、それでも雅洋は俺と付き合ってるのを知ってたくせに」
浩二、あの馬鹿! いくら飢えてたからって友達の恋人に手を出すか? 簡単に出される方もどうかと思うけど。とにかく最低だ。
「ねえ、もうあんな浮気者達のことは忘れちゃおうよ。俺も雅洋とは別れるから、俊ちゃんも支倉と別れて俺と付き合ってよ」
何でそうなる。浩二と別れるにしたって何でオレがあんたと付き合わなくちゃならないんだ。
それに浩二が浮気することくらいは予想してた。縛られたくない代わりに縛り付けもしない。それがオレ達の納得ずくの関係だった。
ただ、あのベッドにだけは連れ込まないって約束を破られたのに腹が立ったんだ。
「あいつが浮気性なのは知ってたし……だから別れるなんて、そこまでは……」
「どうして? 俊ちゃんを裏切ったんだよ? あんなことされて平気なの?」
平気なわけ無い。めちゃくちゃ悲しかったさ。腹が立ったってのもあるけど、怒ってでもいないと泣いてしまいそうなくらい悲しかった。
あのベッドで浩二と過ごすのはオレだけのはずだったんだから。おまけに相手は松坂の恋人。
浩二のことは好きだけど、好きだけどこれはあまりにも酷い。フォロー不可能だよな。
「ね? あんな浮気者の支倉なんか忘れて、俺と付き合ってよ」
落ち込んで黙り込むオレの手を握ってくる松坂の手を振り払う。
「それとこれとは話が別です。浩二が浮気したからってオレまで浮気する気はないです」
「だからさ、浮気じゃなくて本気にしちゃおうよ。俊ちゃんだってわざわざ着替えてきたりして、まんざらでも無いんでしょ? 俺のこと」
「違います!」
どうしてこう都合のいい方にばっかり勘違いできるんだ。オレは単に着替えたかったから着替えただけだ。
松坂はいつの間にかシートベルトを外していて、身体ごとオレの方を向いて迫ってくる。オレも逃げられるようにシートベルトを外そうとしたけど、その手を掴まれる。
「放してください。オレ、ここで降ります」
「簡単になびいてこないところがいいよね。誰にでもホイホイ付いていく雅洋なんかと違って落とし甲斐があるよ」
掴まれた手を引き剥がそうと引っ張ると、そのまま松坂がオレの方に覆い被さるように近づいて来る。そのままシートに押さえつけられ、髪に息がかかるくらいに迫られて慌てて顔を逸らす。
「ちょっと……放してくださいってば」
「どうして? 俺なら俊ちゃんを裏切ったり、悲しませるような事はしないよ。浮気もしないし、俊ちゃんだけを大事にする」
髪に顔を埋めるようにして耳元で囁かれる。
マズいことにオレは優しい言葉にめちゃくちゃ弱い。特にキーワードを言われるとマズい。
――“ただいま”も“お帰り”も無い、いつも真っ暗なひとりきりの部屋へ帰る。ひとりは嫌だ。寂しくて寂しくて、誰かに側にいて欲しい。
ずっと一緒にいてくれるなら……誰でも……
「もう浩二の所には返さない。俺の所においでよ。一緒に暮らそう」
あんなに鬱陶しいと思った松坂の言葉でも、その言葉はひどく優しく響いた。