いつもの放課後。いつもと変わらない生徒会室。
だけど俺は入っていいものか入り口近くの柱の影で悩んでいた。
「何を柱と仲良くしてるんですか? そんな物より俺と仲良くしましょうよ」
生徒会室ばかり気にしていた俺は他にまったく気が行っていなかったらしくて、後ろから来た誰かに突然腕を引っ張られてそいつの腕の中に抱き込まれた。
「うわっ、て……西森……」
「日高先輩を待ってるんですか? こんな寒いところで待ってなくても中に入ればいいのに」
中にお前がいると思ったから入れずにいたのに、何で突然後ろから出てくるんだ。
戸惑う俺に西森はいつもと同じように、口の端を上げて笑いながら俺の顔をのぞき込んでくる。
西森が俺のことを好きだったと、ついこの間初めて知った。
端で観ていた日高だって気付いてたのに、気付かなかった自分の鈍さが嫌になる。
西森の態度は前と変わらないけど、俺はどう接していいのか分からなくってつい避けてしまうんだけど、西森のことが嫌いになったわけじゃない。
嫌いじゃない。だから余計に辛い。
「眉間に皺なんか寄せちゃって。寒かったんでしょ? ほら、早く入りましょう」
俺は結局いつも通りの西森に促されて生徒会室に入った。
「聡! 西森、お前はまた性懲りもなく……」
「廊下なんかで日高先輩を待ってたから冷え切っちゃった篠田先輩を温めてあげてるだけでしょう」
「口実を付けて引っ付きたがってるだけだろう!」
俺と、その後ろにと言うか背中にべったりくっついて生徒会室に入ってきた西森を見て、中にいた日高が入り口に飛んできた。
「あの後せっかくふたりきりにしてあげたのに、何も進展が無かったみたいですね。意外と奥手なんだ」
「僕には僕の考えがある。余計なお世話だよ」
俺の背中におんぶお化けのように覆い被さってた西森を日高が引き剥がすと、引き剥がされた西森は日高の肩に肘をかけて耳打ちした言葉が俺にも聞こえた。
「心配してあげてるのに素っ気ないなぁ。ねぇ?」
西森は俺にも話を振ってくるけど俺は何も答えられなくて、それを見て西森は少し困ったように笑った。
日高もそんな俺達を見て黙り込む。
このふたりは相変わらず仲良くケンカしている。きっとこんな風に変わらずに接する方が西森にとってもいいんだろうと、分かっているんだけど上手くできない自分が歯がゆい。
西森は物事をはっきり言いすぎて誤解を受けやすいから、誰かがフォローしてやらないといらない逆恨みを買いそうで放っておけない。だから卒業するまでに何とか少しでも直させようと思ってたけど、今はそれどころかまともに目を合わせることさえ出来ない。
「西森、里兄(さとにい)が来たぞ。原稿はもう出来てるのか?」
そんな凍り付いた雰囲気をぶち壊すように、日高がことさら大きな声で言った。
その声に戸口を見ると、目があった里兄が軽く頭を下げてにこやかに挨拶してくる。
「こんにちは。ちょっと早く来すぎましたか?」
「ほら、早く行ってこい」
急かす日高に大げさに肩をすくめた西森は、部屋に入ってきた里兄の方に行ってしまった。
次の全校集会で司会をする放送部員の里村慎一(さとむら しんいち)は、里兄なんて呼ばれてるけど俺達より1コ下の2年生だ。
書記の里村のお兄さんだから"里村の兄"を略して里兄(さとにい)と呼んでいる。
しっかり者の弟の里村隆二(さとむら りゅうじ)と比べると里兄はおっとりしているが、やるべき事は責任持ってしっかりとやってくれるんで意外と頼りになる。
今までの司会をしていた放送部員の田中は3年生でもうクラブを引退してしまったから、それまで補佐だった里兄が司会をやることになったんだ。
何処のクラブも、もう世代交代に入っている。
生徒会も名目上はまだ日高が生徒会長だけど、ほとんどのことを副会長の西森に任せるようになっていた。だから次の全校集会は西森が中心で行うんで、司会の里兄との打ち合わせも西森の仕事と言うわけだ。
日高本人だけは不本意な、文化祭の仮装で大絶賛を受けた金髪の可愛いアリスの女装が日高の生徒会長としての最後の大仕事になった。
日高が照れ隠しに被るつもりでいた豚のマスクはなぜだか行方不明になり、結局日高は金髪のカツラを被って完璧なアリスになることになったんだ。
まあこの話題は日高の前では禁句になってるんでしやしないけど。……だけど日高はすごく可愛かった。
「調子はどう?」
スポーツ推薦を受ける俺の入試はもうすぐ。
西森を囲んで話し合いを始めたみんなと少し離れた窓際の机に腰掛けた俺に、日高が俺の調子を尋ねてきた。
「まあ絶好調とは言い難いけど、風邪さえひかなければこのままで大丈夫。あとは交通事故に注意かな」
俺は昔交通事故で色々と痛い目を見たからそれを茶化して言ってみたんだけど、日高は心配そうに眉を顰めた。
「最近あんまり元気がないみたいだから心配だよ」
「実力はこれまでの競技成績で分かってるから、実技はタイムって言うより態度とか競技への取り組み方を見る面接の延長みたいなもんだから、そんなに気負わなくたって大丈夫だから」
俺は推薦だから学科試験はなくて論文と面接と実技だけ。論文なんて言うと難しそうだけど作文程度の物でいいそうだし、面接のリハーサルも顧問の先生相手に何度もしたから大丈夫。実技にいたっては『真面目に気持ちよく走ればOK』だそうだから失敗する方が難しいくらい。
だから何も心配はない。だけど――
「西森のことをまだ気にしてるの?」
「んー……」
気にしてどうなるものでも無いんだけど、気にするなという方が無理だ。
西森は俺のことが好きだったのに、俺ってばその西森とライバルに当たる日高の話ばっかりしてたんだから合わせる顔がない。
「何か……あいつのことは放って置けないって思うんだけど、でもどうすればいいのか分からなくって」
「そうだね。あいつは変に危なっかしい所があるから。西森には君みたいに奴を止めることが出来る人が居た方がいい。――里兄なら適任だと思うんだけどね」
「ええ? 里兄?」
日高の意外な言葉に、俺は里兄達の方を見た。
西森の隣で議事のまとめみたいな紙をめくっていた里兄が、手を止めて西森の前にそれを差し出した。
「西森君、ここのこの言葉は重複してるね。直した方が良くなると思うよ」
「ここが一番強調したいところだからこれでいいだろう」
「強調したいなら最後にもう一度改めて入れた方がいいんじゃないかな?」
「あの、でもそんなに気にならないからそのままでいいんじゃない? まだ他にも議題はあるし……」
ムッとした表情の西森に慌てたように会計の松本さんがなだめに入ったが、里兄は気にしないというかマイペースを崩さない。
「じゃあ僕がちょっと直してみるから。それで気に入らなかったらこのまま行こうよ。それでいいよね?」
言うなり里兄は、西森の原稿を手に赤ペン先生を始めてしまった。
「んじゃ、そこは慎一に任せて次の項目を先に検討しようよ」
里兄のマイペースに呆れる西森に変わって、弟の里村が話を先に進めだした。
なるほど。里兄ひとりでは心許ないけど、里村兄弟二人掛かりなら何とかなるかも。
ワンマン路線の西森にも、ズバズバ意見を言えちゃうのは里兄の無邪気さのなせる技かも知れない。
里兄はおっとりしてるけどトロイわけじゃないし、意見の内容も的確で何より嫌みが無くて優しい言い方をするから逆らいにくい。
こういうストッパーが突っ走りがちな西森には必要なんだよね。
だけど本当に大丈夫なんだろうか? 里兄にはちょっと荷が重すぎないかと心配だった。
「里兄はちょっと君と似たところがあるから、西森と上手くやっていけると思うんだ」
心配する俺の心を見透かしたように日高が言ったけど、それはないぞ。
「えー、里兄が俺に似てるって、全然似てないと思うけど?」
里兄は優しそうな顔に眼鏡をしてていかにも文系クラブって感じのおっとりしたタイプで、動いてなきゃ死んじゃいそうな体育会系の俺とは正反対だと思うんだけど。
「見た目じゃなくて中身の話だよ」
性格となるとなおさら違う。里兄は弟の隆二にさえ突っ込まれるほどの天然ボケで、おまけに怒った所を誰も見たことがないくらいに穏和なんだ。
「俺はあそこまでボケボケじゃないぞ」
「――それ里兄に言っちゃ駄目だよ。里兄はデリケートなんだから、傷つくよ」
俺よりボケボケだって言われると傷つくって……どういう意味だよ。気分を害した俺は日高を睨んだけど、日高はおもしろそうに笑った。
「明日は何か予定がある? 久しぶりに何処かに出掛けない?」
笑いながら日高がそんな提案をしてきたんで、俺は怒ってたのも忘れて日高の腕を掴んだ。
「え? いいの?」
「今更じたばたしても仕方がないし、たまには息抜きも必要だよ」
「行く行く! 俺さ、行きたいところがあるんだ!」
このところお互い受験生って事で、一緒に遊びに行くのを控えていた俺は日高の誘いに食いついた。
「コラ、そこ! 真面目に会議をしてる横でデートの段取りをつけない」
俺が嬉しくてつい大声を出してしまったんで、会議をしているみんなの方にも俺達の会話が聞こえちゃったらしく西森が茶々を入れてきた。
「先輩達にも息抜きは必要なんだからいいでしょう。邪魔をしないの」
そんな西森の頭を里兄がボールペンで小突く。
「そうだぞ。久しぶりのデートなんだから」
俺も調子に乗って日高の頭に抱きつくと、西森はいつものように口の恥を上げてシニカルに笑う。それが何だかこれでいいんだと言っているように見えて、俺も笑ってみせた。
「男同士でデートって寂しいですねー。さすが灰色の受験生」
「やめなよ隆二。すみません日高さん篠田さん。あ、そうだ! 日高さんがまたアリスの格好をすればいいんですよ。そしたら――んぐっ」
軽口を叩く弟を止めるついでに、いかにも名案を思いついたと言わんばかりに禁句を語り出した里兄を、西森と里村が二人掛かりで口を押さえ込んで黙らせた。
ナイスコンビネーション。
日高も何だかどす黒いオーラを出そうとしたような気もするんだけど、ふたりに押さえ込まれてわけが分からず困惑して目を白黒させている里兄を見て笑いのスイッチが入っちゃったらしく、机に突っ伏して静かに笑い出した。これは当分止まらないぞ。
肩を振るわせながら本気モードで笑っている日高につられてか、みんな会議そっちのけで笑い出した。
俺も久しぶりに腹の底から笑えた気がした。