人でごった返すこの混雑の中、俺の意識はただ一点に集中していた。
チャンスは一度きり。
呼吸を整えターゲットとの位置を目測で確認すると、辺りに注意をしながら俺は今年最初の勝負に出た。
今年一年の運気を占うような気持ちで放った一投は、人々の上を飛び越え放物線を画きながら見事に狙いの場所に吸い込まれていった。
「やった! 見た? 日高。今の入ったよね」
「うん。ちゃんと入ったよ」
手前に設置された大きな臨時の賽銭箱じゃなく、その奥の小さな常設の賽銭箱に十円玉を投げ入れるのに成功した俺は、横にいた日高にも確認を取った。
「それより、早く願い事をしないと」
「あ、あ! そうだった」
俺はお賽銭が狙った賽銭箱に入ったのが嬉しくて、肝心の願い事をするのを忘れていた。
俺は急いで神殿に向かって手を合わすと、目を閉じて願い事をする。
(日高が明興学院大学に合格しますように。それから俺も大学で良い成績が出せますように。それからばあちゃんや家族みんなが元気で過ごせますように……それから――)
十円でちょっと欲張り過ぎかな? と思った俺はその辺でやめておいた。
目を開けて日高を見ると、日高もちょうど願い終わったらしくこっちを見た。
「もう済んだ?」
「うん」
願い事がすめばこの人込みからさっさと抜け出したい。同じようにお参りを済ませた人の流れに乗って、俺達は脇の方にそれて行った。
風は冷たくて強いけれどいい天気。青空を白く薄い雲が気持ちよく流れていく。
昨日に引き続きお出かけ日和の今日の神社は、初詣の参拝客でごった返している。
俺達は人込みを抜け、すっかり葉を落とした銀杏の根元に一端避難した。
「凄い混雑だね。1日なんかはもっとひどかったんだろうな」
「そうだね。僕は昨日も家族と別の神社に行ったけどそこも凄い人出だったよ」
今日はお正月の2日。俺は日高と待ち合わせて神社に日高の合格祈願のお参りに来ていた。
さすがにお互い1日は家族とそれぞれに初詣に行ったり親戚の家にお年始の挨拶に行ったりで忙しかったから、今日会うことにしたんだ。
それでそれから今日はまた日高のマンションに泊まるんだ。
日高のマンションにはクリスマスに初めて泊まった。そこで初めて日高と一緒に一晩過ごして……うわ、やばい。こんな、神社なんて神聖な場所でこんな事考えちゃ駄目だ! 俺は慌てて思考を切り替えた。
「ねえ、どこかの初売りに行く? 俺は昨日親戚の家に行く前に福袋を買ったんだけどハズレでさ。真っ赤なパーカーとか趣味じゃないのばっかりで、従弟にあげちゃったよ」
「僕は別に欲しい物はないから――」
「篠田先輩!」
「日高センパーイ!」
これからの予定を決めようと境内の端っこで立ち止まっていた俺達に、人込みの中から大声で呼びかけてくる人が居た。
ついさっきもクラブの後輩に会ったし、やっぱり学校近くの神社だと顔見知りに会う確率が高いな。
「西森、里村。お前らも来てたのか」
「あけましておめでとうございまーす」
西森と里村のふたりが手を振りながら俺達の前にやって来て、里村がぺこりと頭を下げた。西森は相変わらずのでかい態度で、軽く会釈程度に頭を下げる。
生徒会の副会長と書記のコンビ。このふたりも初詣に来てたんだ。
「おめでとー。あれ、里兄は? 来てないの?」
「慎一はガラガラを鳴らしたいからって前まで突進していったんですよ」
里兄こと里村慎一は放送部員だけど、生徒総会の司会なんかをしてくれるんで俺達とも顔なじみだ。
慎一、隆二の里村兄弟は仲が良くて普段からよく一緒にいるんだけど今日は珍しく別なのかと思って聞いてみたら、里兄はあの人混みの中を一番前の、それも3つしかない鈴を鳴らしに行ったのか。
俺は鈴の争奪戦のすごさに鳴らしに行くのは無理だろうと諦めてお賽銭投げに情熱を賭けたのに、里兄は俺のさらに上を行くチャレンジャーだったんだな。
日高が里兄が俺と似てるって言ったのはこの辺のことなのかなと思って日高を見ると、日高は俺の考えた事を見透かしたのか俺の方を見てくすっと笑った。
「篠田先輩はもう合格しちゃってるから、日高先輩の合格祈願ですか?」
目と目で会話しちゃった俺達の間にわざとらしく西森が入ってくる。
「うん、そんなとこ。それにお正月くらい日高だって息抜きしないと」
「息抜きもいいですけど寒い中デートに出掛けて、俺みたいに受験の日に風邪を引かないように注意してくださいね」
「ああ。僕達は暖かくして寝るから大丈夫だよ。ね? 聡」
「え? え、あっ、ああ。うん」
「……ふーん。ちぇっ、ちぇっ。いいなぁ」
わざとらしく舌を鳴らすマネをして残念がる西森に思わずカッと顔が熱くなる。これって、バレちゃったんだよな……俺がその、日高と……
何でこんなわざわざバレるようなことを言うんだ! と日高を横目で睨んでみても、日高はすまして知らん顔をしている。
「ここまでくるのにどれだけ苦労したと思ってるんだ。お前もせいぜい頑張れ」
「確かに。あの忍耐力には頭が下がりました」
狐と狸の化かし合いみたいな日高と西森のやり取りを里村も不審そうに見ている。何とかごまかしたいけど俺が参戦したらさらに不審になること間違いなしなんでどうにも出来ない。
「日高さんに篠田さん! おふたりも来てたんですか。あ、あけましておめでとうございまーす」
そんな妙な雰囲気を吹き飛ばすように、参拝者の列の中からようやく生還した里兄がのんきに現れた。
「よく無事に帰って来れたな慎一。マフラー落ちかけてんぞ」
里村は多少呆れながらもホッとした様子で里兄を迎えると、もみくちゃにされてはだけてしまったらしいマフラーを巻き直してやる。こいつら本当に仲良し兄弟だ。
里村と里兄は兄弟といってもほとんど身長も変わらないし、弟の隆二が兄の事を"慎一"と呼び捨てだからどっちが兄だか弟だか分かりゃしない。
「鈴は鳴らせた?」
とにかく話題を変えたかった俺は里兄に成果を訊ねた。
「はい。他の人と一緒にでしたけど、ちゃんと鳴らせました。でももみくちゃにされて途中で眼鏡が飛んじゃうかと思いましたよ」
「新年早々気合い入ってるね」
「だって僕も来年って言うか、もう今年から受験生になるんですから。しっかりお願いしておこうと思って」
「そうか、里兄はもう今年3年生になるんだ」
「俺達これからぜんざい食いに行くんだけど、一緒に行きませんか?」
つい話が弾んじゃったけど、確かにいつまでもこんな吹きさらしで話していたら寒い。それに俺は今年まだあんころ餅を食べてないからぜんざいっていいよなぁと里村の誘いに同意しようとしたら、西森が割って入ってきた。
「ちょっと待てよ。俺はぜんざいより甘酒がいいって言っただろ」
「ぜんざいの方がいいって」
「里兄はどっちなんだ?」
「僕は甘い物はちょっと……だから、ふたりの好きにして」
一対一で意見が割れたから西森は3人目に意見を求めたみたいだけど結果は出なかった。
里兄が甘い物が苦手ってちょっと意外。
「よし、じゃあ甘酒の方がぜんざいより甘くないから甘酒だ」
「どっちにしろ慎一はコーヒーかお茶しか飲まないから関係ない! だからぜんざいでもいいの!」
「それじゃあ、ふたりでじゃんけんでも―― ああ、それよりおみくじを引かない? それで大吉とか、よりいいくじが出た方のにしようよ」
平行線の2人の言い争いを里兄が仲裁する。
「そうだなぁ。おみくじも引きたかったし……」
「まあ、言い争ってても埒が明かないし、そうするか。でも、クジの結果が同じだったらどうするんだ?」
「もう一回引く!」
里村は気合い十分で言い切ったけど、一年を占うおみくじとしてそれはいいのか? と思いつつも、里兄の提案で決着が付いた――というか、決着の付け方が決まっただけだけど。とにかくこの場は収まった。
やっぱりこの3人はいい組み合わせだ。
「それじゃあ、僕達はこれで」
「え?」
神殿の脇のおみくじを売っている所に向かう西森達を、さっきまで静観していた日高が片手を上げて見送ろうとする。
日高が行かないなら当然俺も行けない。
甘酒でもぜんざいでもどっちでもいいから付き合うつもりでいた俺は、日高の言葉に面食らって日高を見た。
一緒に行かないの? 俺もおみくじを引く気になってたのに。だけど俺がそう口を開く前に里兄にセリフを取られる。
「ええ? 一緒に来ないんですか?」
里兄と里村も俺達が一緒に来ると思っていたらしく驚いた顔で立ち止まる。西森だけは予想していたというように、にやっと笑った。
「僕達はもうたこ焼きを食べてきてお腹が空いてないから、遠慮しておくよ」
俺達、というか俺が神殿にたどり着く前に、誘惑に負けてお参り前にふたりでたこ焼きを食べちゃってたんだよね。寒かったし、何より俺はあのソースの匂いにはどうしても逆らえないんだ。
「そうですか。それじゃあ、また」
だけど甘いものなら別腹に入るから俺達も一緒に行こうと日高に言おうとしたんだけど、西森に締められてしまった。
みんなして俺の発言を奪うなよ。
「じゃあ、また学校で」
「さよなら」
「……あ、じゃあな」
さっさと西森が締めに入っちゃったもんだから俺は結局一緒に行くと言い出せなくて、おみくじ売り場へ向かう里兄達に手を振って見送った。
「聡もおみくじ引きたかった?」
なんとなーくポツンと残された気分の俺に日高が問いかけてくる。
「ん……それほど引きたかったわけじゃないからいいけど」
「それじゃあお腹が空いてるの?」
「ううん。さっきたこ焼き食べたから空いてないけど」
「それじゃあもう帰ろうよ」
実際それほどおみくじを引きたかったわけでもないし、特に甘酒かぜんざいが食べたかったわけじゃない。だからさっさと出口の鳥居に向かって歩き出す日高に、仕方なく俺も付いて歩き出した。
でももう帰るって事は買い物にもどこにも行かないのかな。確かにどこもかしこも人だらけだし。
でもみんなとはせっかく会えたんだからもうちょっと一緒にいたかったのに。
だけど今日は結構寒いから、あんまり長い間外にいたら風邪を引くかも。
そうだ、日高はまだ受験生なんだった! 後20日足らずでセンター試験なのに、これ以上人込みの中にいて風邪のウィルスでも拾ったら大変じゃないか。
いくら日高の頭がよくても、体調を崩してまともに試験が受けられなかったらどうしようもない。
俺は自分のことしか考えてなかったのが恥ずかしくなって、日高の隣にぴったり寄り添った。
「寒くないか? 日高。風邪引いたら大変だもんな。早く帰ろう」
「え? ああ、うん」
ついさっきまで渋っていたくせに急に積極的に帰ろうとする俺に戸惑う日高の腕を引っ掴んで、駅へと向かって歩き出した。
神社の近くの駅は人で一杯だったけど、市内から山の方へと向かう日高のマンションの方面行きの電車に乗り換えるとどんどん人は減っていく。
また終点の高田駅に着く頃にはがら空きになっていた。
そこから日高のマンションに向かう道にも人影はなくて、誰ともすれ違わない。
さっきまでの神社や街中の喧騒が嘘みたいに静かだった。
「やっぱり住宅地には人が居ないね。みんな初詣とか初売りに出掛けてるか、こたつにみかんでテレビを見てるのかな」
俺も駅伝は見たかったんだけど、録画してあるから大丈夫。ただニュースなんかで結果を見ないように注意しないといけないのが面倒だけど。
「どこかの初売りに行きたかった?」
「ううん。一応昨日福袋を買ったからもういいよ」
「じゃあ、やっぱりみんなと一緒に居たかっただけなんだね……」
ぽつりと呟くと、それきり日高は黙ってしまった。
休みの日に偶然友達と会ったら、一緒に何か食べに行こうかって話にくらいなるだろう。それがどうしたって言うんだろう?
日高が何にそんなにこだわっているのか分からなくって、仕方なく俺も黙って歩き続けた。
「たっだいまー、んっ!」
そうしてマンションに着いて日高の部屋に入って扉を閉めると同時に、日高に壁に押しつけられるようにしてキスされた。
掴まれた肩を痛いくらいに強く捉えられて、ちょっと困惑する。
俺は別に逃げようとなんてしてないのに何でこんなにがっちり捕まえられちゃってるわけ? 押し戻そうにも日高はびくともしない。全身で俺を押さえ込んできてる。
「う、んっ……んっんっ」
押しても駄目なら引いてみる。というわけで軽く日高の肩をつついて「痛い」とアピールしてみた。
それでやっと通じたのか、日高は手を離してくれて突然のキスから解放された。だけど離れてはくれなくて、間近で見つめ合っちゃう。
「日高?」
「僕は早くふたりきりになりたかったのに……聡ってば……聡は西森やみんなと一緒の方が良かったの?」
もしかしてもしかすると、日高ってば風邪を引きたくなくて早く帰りたかったわけじゃなくて、俺が西森や里村達とばっかりしゃべってたから焼き餅を焼いた?
日高ってば新年早々そんな可愛いこと言うなんて反則だぞ。
「僕以外と話もするなとは言わないけど、だけど僕と居るときは僕を、僕のことを一番にして」
珍しい日高のワガママが可愛くって思わず顔がにやけてしまったんだけど、日高はそれを笑ってごまかそうとしてると思ったみたいで、また肩を掴まれる。
必死の日高ってば可愛い! 新年早々いい物見ちゃった。つい調子に乗ってからかいたくなる。
「一番とか無理」
「ええ?」
「日高は特別だから。誰とも比べられないから、一番も二番もないよ」
「聡……」
「ちょっと待った!」
もう一度キスしようと、今度はさっきみたいに無表情じゃなく笑顔で迫ってきた日高の顔を押し戻す。
だってキスだけじゃ済みそうにない感じだったから。
「どうしたの?」
「だってさ……今日は……まだ日高は、日高はもうすぐセンター試験なんだから……」
「だから?」
「日高は俺の受験を最優先にしてくれたから……俺も日高の受験の邪魔をしたくないよ」
だから今度は俺が日高の受験が終わるまで我慢する番だと思ったのに、日高は不満そうに反論してくる。
「邪魔だなんて! あれからずっとあの日の事を、君のことを考えてたのに」
「それが邪魔をしてるって事だと思うんだけど……」
「そうじゃなくて、君と一緒に居られるために頑張ろうって思ってるって事で、だから……その……いけない?」
日高はさっきと違ってそっと俺の頬に触れてくる。
これはつまり、その、またしたいってこと……だよな。
日高の試験が終わるまでは、日高もそんなことしようって言ってこないと思って、今日は本当にただ泊まりがけで遊びに来ただけなんだけど。
それは俺だって日高と……したい。あの日の事はすっごく気持ちよくて……痛かったけど、それでも気持ちいいのと嬉しい気持ちの方が勝ってた。
あの日の日高の肌の感触とか息遣いとか……あんなに日高を距離的なことだけじゃなくて近くに感じたことは無かったから。
だからまたしたいっていうのはある。けど、けど……
「ちょ、ちょっと、待って! 日高、俺まだ靴脱いでないって」
あの日のことを鮮明に思い出しちゃって、きっと俺の顔は赤くなっちゃってるんだろう。
返事をしなくても俺が思ってることは日高にバレバレみたいだ。腕を取られて部屋にそのまま引っ張り込まれそうになって、慌てて靴を脱いで上がる。
そのままベッドのある部屋に引っ張り込まれて、ジャケットを脱ぐ間もなくベッドに押し倒された。
カーテンを引いてあるから薄暗いとは言え、外はまだ明るいのに今すぐするの?
「ねえって、日高っ」
「いやなの?」
「そうじゃなくて……あの、せめてシャワーくらいさぁ」
「今日は寒いから、汗とかかいてないからいいでしょ?」
のし掛かってくる日高を押しとどめようとするけど、日高は俺のジャケットの前を素早く開けると腰に手をあてがって押さえ込んでくる。
腰は! 俺は腰は触られるとすっごくくすぐったくて駄目なんだよ。
「や! くすぐったっ、そこ、反則っ、あ」
「聡……僕は特別で……君に、何をしてもいいんでしょ?」
くすぐったさに身をすくめた俺の耳元に、というか首筋に顔を埋めて日高が吐息を吐くように囁く。それもくすぐったくてさらに抵抗できなくなる。
確かに俺は前に日高は俺に何をしてもいいって言った。言ったけど!
シャワーくらい浴びさせろ! 日高のせっかち!
だけど今更止められないのは分かってる。俺だって本当は、日高とこうしたかったんだから。
「そ、その代わり、絶対に大学に合格しないと駄目なんだからな!」
俺の最後の抵抗を、日高は笑顔で受け留める。
「うん、分かってる。僕も、聡のためなら何でもするから。聡と一緒に居られるならどんなことでもする」
俺の首筋から顔を上げて俺の大好きな笑顔で微笑む日高に、逆らえるはずなんて無い。
嬉しくって愛しくって、溢れてくる気持ちのままに日高の頭をぎゅっと抱きしめると、サラサラの髪が俺の首筋をくすぐって凄く気持ちいい。
「日高……大好きだ」
「僕もだよ」
俺の言葉に日高も嬉しそうに応えてくれる。抱きしめてるから顔は見えないけど、見なくても分かる。きっと最高の笑顔で微笑んでる。
日高の笑顔は俺のもの。誰にも渡さない。
俺は日高を抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。