5.May Sky Fish

 時刻は5時過ぎ。もう部活動もお終いの時間。
 部活を終えた俺は、人気の無くなった校舎をひとりうきうきと歩いていた。これからのお楽しみを思うと自然と頬が緩む。
 目的地は生徒会室。
 これまでは全然まったく関わりがなかったけど、今ではもうすっかり通い慣れた西棟2階の中央の部屋の前に付くと、俺はそっと扉を開けた。
「お待たせー、日高」
「いらっしゃい。早かったね」
「もうみんなは帰った?」
 部屋に入るなり俺は、中を見渡して他の生徒会の生徒が居ないか確認する。誰かいたら帰るまで待たなきゃいけない。だけどみんな帰ったみたいで、部屋の中には会長の日高ひとりだった。
「うん。と言っても、今日はほとんどここじゃなくて体育館での作業だったんだけどね」
 言いながら日高は窓際に行って、外から部屋の中が見えないようにカーテンを引いた。ここは2階だから覗かれる心配はないんだけど一応ね。これでしっかりふたりきりだ。

 生徒会室には長くて大きな机が中央に四角く並べられていて会議室の様になっていたり、普通に前を向けて並べられていたりまちまちなんだけど、今日は会議風の並びになっていた。
 俺はその四角く並べられた教壇側の前の席に座った。
「ちゃんと君の指定通りのを用意したよ」
 その俺の前に鞄を持ってやってきた日高は、その中から丁寧に包装紙に包まれた物を取り出して机の上に置いた。
「はい、白いお餅にこしあん入り」
「ヤッター! やっぱり柏餅はこうじゃなきゃね」
 俺は受け取った包みを嬉々として広げる。スーパーのじゃなくて、ちゃんとした和菓子屋さんの包み紙だ。開ける前から美味いのが保証されてるみたいで嬉しい。
 その間に日高は生徒会室の隣の小さな給湯室に行き、お盆に急須とカップを乗せて持って来ると机の上に置いた。
 日高のカップと俺のカップ。しょっちゅうここに遊びに来る俺は、もうここに自分のカップを置いているんだ。
 日高はそのカップに急須からお茶を注ぐ。綺麗な春の新茶色。
 注ぎ終わると、日高はそれを包みから出した5つの柏餅と一緒に俺の目の前に並べた。
 柏餅の横でカップの中の緑茶からふんわり湯気が上がってめちゃくちゃいい感じ。
「これで君の注文通りかな?」
「うん、上出来」
 緑茶がマグカップに入ってるってのが趣がないけど、それでも柏餅と緑茶の組み合わせってのはいいよね。やっぱり5月はこれがなくっちゃ始まらない。
 俺のOKが出たところで、日高も俺の横に座った。
「では、いただきます」
 俺は日高が座るのを待って手を合わすと、早速柏餅を手に取って皮をめくった。
 白いお餅が名残惜しげにむにっと柏の葉に縋り付くのを引っぺがすと、柏の葉っぱの匂いがちょっぴり鼻をくすぐる。これこれ。これじゃなきゃ柏餅じゃないよ。
「家の母さんもこの前柏餅を買ってきてくれたんだけど、柏の葉っぱをめくってみたら草餅だったんでびっくりしたよ。おまけに中が粒あんなんだもん。草餅も好きだけど柏にくるむのは間違ってるよ。柏の匂いが全然しなくて柏餅を食べた気がしなかったんだ」
 だから俺は日高へのリクエストに"白いお餅にこしあん入りの柏餅"という注文を付けたんだ。
「だからわざわざ指定したんだね。柏餅にそんなに種類があるなんて知らなかったから不思議だったんだけど、お店に行ったら"味噌あん入り"っていうのもあったから指定してもらってて返って助かったよ」
 わざわざ指定付きで注文した理由を聞かされて、日高は納得したように微笑んだ。
 俺は食い物には色々とこだわりを持っているのだ。


 で、日高が何で俺にそんな物を用意させられる羽目になったかというと、事はバレンタインデーまでさかのぼる。
 日高ってばバレンタインデーに、俺の靴箱に入っていたチョコレートを勝手に捨てちゃっていたというんだ。
 日高のことを好きな俺が、他の子からのチョコは受け取っちゃ駄目ということだったらしいんだけど、捨てちゃうなんてそんなこと勝手にしていいわけがない。食い物の恨みは恐ろしいのだ。
 それに何よりくれた女の子に失礼だ。
 しかも、俺はお返しも何もしない薄情者と思われちゃったかもしれなかったんだ。
 だけど日高はそれはないと言う。
「ひとりは無記名だったからどうしようもないし、もうひとりの子には君はちゃんとお返しをしてるよ」
「ええ? 何で? どうやって? もらったことすら知らないのに俺はどうやってお返ししたんだよ」
「ホワイトデーに僕のお返しを配るのを手伝ってもらったときに、ちゃんと君が担当する方のリストにその子の分も入れておいたから、結果的にはちゃんと篠田君がお返しをしたって事になるんだよ」
 そう言われて俺はバレンタインデーの日のことを思い出す。
 そういえば靴箱にお返しを入れる子のリストの中に、ひとりだけ印があって他の子とは違う色の包み紙のお返しを入れたのがあった。
「何かひとりだけ包み紙が違う子がいたな。そっかーあの子か」
 っていっても名前なんて覚えてないぞ。ただその子はちょっと高そうなチョコでもくれた子だから、お返しも他の子より値が張る物にしたのかなー程度にしか思ってなかったもん。
「そう。君はちゃんとお返しをしてるんだから、何も気にすることなんてないよ」
 何とか名前を思い出そうとする俺の思考を中断するように、日高がさっさと問題を終わらそうとしてくる。
「でもさー、ただ何も言わずにお返しを靴箱に突っ込むだけって愛想がないっていうか……」
「その子のチョコレートにも名前とクラスが書かれたカードが添えられてただけで、メッセージはなかったからそれでいいじゃない」
「でも……」
「何? 『俺は日高が好きだからお付き合いできません』って言ってくれるつもりだったの?」
 なお納得できないって顔をする俺に、日高は意地悪げに微笑んだ。そう言われると何も言えない。
 確かに俺はそれまで会ったことも――いや、会ってたかどうかも分からないけど、とにかくチョコをくれた女の子より日高の方を優先させただろう。日高以上に好きな人はいないから、それは確実。
「でもでも、だからって勝手に人の物を捨てるなんて許されないんだからな。まして食べ物を捨てるなんて!」
 これについては日高も全面的に非を認めて謝ってくれて、それでお詫びに何でも俺の好きな食べ物を買ってくれるって事になったんだ。


「日高も食べなよ」
 俺は片手に自分の分の柏餅を持ち、もう片方の手で日高にも柏餅を勧めた。
「僕はいいよ。欲しかったらちゃんと自分の分も買ってたよ」
 日高は自分はお茶だけでいいと首を横に振る。
 だけど俺だって自分ひとりで食べるのは気が引ける。それに初めから日高とふたりで食べたいと思ったから5つ買ってきて欲しいと頼んだんだ。
 日高と一緒に食べたい。でもやっぱりこれはお詫びの印なんだから、俺の方が一つ多くもらうと言うことで日高が2つで俺が1つ多い3つ。で、5つなんだ。
 と、言うことを説明して日高にも柏餅を手渡すと、俺は自分の柏餅にかぶりついた。
 もちっとしたお餅の感触に甘いあんこ。それに鼻に当たる柏の葉っぱから香る柏の匂い。
「やっぱいいなー。俺、柏餅を食べると5月だなー端午の節句だなーって思うんだ」
「これを食べようと食べまいと、僕には容赦なく端午の節句は来ちゃうんだけどね。ゴールデンウィークと言っても、前半はこの準備でつぶれちゃったし」
 日高も柏餅を食べながら、大げさに溜息をついた。

 俺もGWの前半は連日陸上部の部活でちっとも休みじゃなかったんだけど、日高のGWが潰れたのは端午の節句のせいなんだ。
 うちの学校では毎年GWの中日に、近くにある小学校の低学年の子達を招待して端午の節句のイベントをするのが習わしになっている。
 正式名称『節句会』。もう何年も続いてる伝統行事だ。
 校舎からグラウンドに向けて張ったロープに鯉のぼりを吊して、その鯉のぼりの泳ぐ下で子供達相手に遊びながら交通ルールとか不審者に会ったときの対応なんかを教えるという結構真面目な行事だ。
 けど、やっぱり小さな子が相手っていうのは楽しくて、俺はこのイベントは好きだったりする。
 それに鯉のぼりは長年にわたって生徒や地域の人達から、もう使わなくなったり痛んで捨てられるはずだったのを寄付してもらってるんで結構な数があって、それがグラウンドにはためく様はなかなか壮観なんだ。

「あれ? これはどうしたの?」
 自分の分の柏餅をあっという間に平らげた俺は、机の上に何枚かたたんで置かれている鯉のぼりに気付いた。
 鯉のぼりはみんなまとめて体育館に持って行かれてて、明日の朝一斉に校舎からグラウンドに向かって吊される。雨天の場合は体育館に吊されるそうなんだけど、やっぱり鯉のぼりは外じゃなきゃな。
 とにかく、もしもまだ何かすることが残ってるなら手伝おう。
「これから体育館に持ってくのか? だったら俺も手伝うよ」
「それは破れたり痛んだ部分があったから、手芸部に頼んで繕ってもらっててさっき届いた分なんだ。明日の朝に付けるからいいんだよ」
「へえ、大変だな。なあ、また日高は朝早くから来て準備するんだろ? 俺も来て手伝おうか?」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。イベント準備会のメンバーもいるし、君が怪我をしたら大変だからいいよ」
「怪我って、俺はそんなにドジじゃないぞ」
 危ないからいいって俺はそんなにドジじゃない、とちょっとムッとする。
 そんな俺の様子に気付いたのか、日高はフォローを入れてきた。
「鯉のぼりを吊すのに、梯子に登ったり窓から乗り出したりもするから結構危ないんだよ。君はスポーツ推薦で大学に行くつもりなんだろ? もうすぐ競技会があるのに、また怪我をして出られなくなったらどうするんだい。推薦に大会成績は関係してくるだろ」
 そう言いながら、日高は俺の左腕をじっと見た。
「あ、日高スゴい。このことも知ってるんだ」
 俺は以前、まだ一年生の頃に全国大会前に交通事故で左腕を骨折して、出場できなくなったことがあったんだ。あの時は本当に悔しくてマジで泣けた。
 だけど、その頃は俺と日高はクラスも違ったのに日高はよくそんなこと知ってたな。
 まあ、しばらく包帯グルグル巻きで首から腕吊ってたから目立って日高の目にも入ってたんだろう。
 このことを言われると分が悪い。
 でも、あれはよそ見運転で歩道に乗り上げた自動車に後ろからはねられたという、こっちには防ぎようのない事故だったんだ。決して俺がドジだったわけじゃないぞ。


 日高は気を遣ってくれたんだけど、それで嫌なことを思い出しちゃった俺は、気分を変えようと置いてある鯉のぼりの所へ行ってそれを広げてみた。
 長年雨風に晒されてたせいかちょっと色あせてはいるものの、こんな大きくて立派な鯉のぼりを持ったのは初めてだ。
 実は鯉のぼりでちょっとやってみたい事があった俺は、この機会にそれをやってみることにした。
「なあなあ日高、ちょっとあっち向いててよ」
「いいけど、何で?」
「いいから!」
 日高に前を向かせると、俺は並べられた机の真ん中のスペースの床に適当な大きさの鯉のぼりを広げて座り込むと、もそもそと準備をする。
 これは、結構、意外とフィットする――

「もういいよ日高。こっち向いて―― ほーら人魚だよー」
 振り返った日高に、寝転がって腰から下に鯉のぼりを履いて人魚に扮した俺は、首筋に手を当ててうっふんポーズを取ってみた。
 日高の反応を窺うと、反応がない。ただじっと俺を見てる。これはやっぱ外したかな? けど一度これをやってみたかった俺としては我が人生に悔い無し! なんだけど。と、思いながら日高を見てると、日高は目の前の机に突っ伏した。
「日高?」
「あ、あはははははははっ、に、人魚って……人魚って言うか、鯉に丸呑みっ、あははははは」
 うーん、確かに自分の腰の辺りを見てみると、大口開けた鯉に丸呑みされてる状態だ。
 だけど、そんな盛大に笑うほどのことか? と不思議だったんだけど、日高は机に伏したまま肩を振るわせて笑っている。 
「ひーだか。ほらほら」
 ようやく笑いが収まったのか顔を上げた日高に向かってしっぽの部分をピチピチ振ってみると、日高はまた突っ伏して笑い出した。握った拳がぷるぷる震えている。

 ……日高の笑いのツボってよく分からない。

 受けたのは嬉しいけど、そこまで面白いかなあ?
 これ以上笑わすと呼吸困難に陥るんじゃないかと心配になるほど日高が笑い続けてるんで、俺は取りあえずこの鯉のぼりを脱ぐことにした。んだけど、ジャージのファスナーが鯉のぼりのどこかに引っかかって外れない。部活の後だからジャージだったんだよね。
「日高、ちょっと。楽しそうなところ邪魔して悪いんだけど、ちょっとこれ脱ぐの手伝って」
「何? ……どうしたの?」
 軽く咽せながらも何とか笑いが収まった日高がこっちを向く。俺を見てまた笑いそうになるのを堪えながらこっちにやってきた。
「ここ、この辺でファスナーが引っかかってるみたいで……脱げないんだよね。どうなってるか見てくれる?」
「どこ?」
 日高が俺を丸呑みしている鯉のぼりの口の部分を引っ張って中を窺う。
「ちょっ、くすぐったい!」
 引っかかってる部分が分かったのか、腰の辺りを触ってくる日高に俺は思わずくすぐったくて身をよじった。
「じっとしてくれなきゃ取れないよ」
「だって脇腹ってくすぐったいじゃない」
「仕方ないだろ。自分でやったんだから。ほら、じっとして」
 俺だって好きで引っかかったわけじゃない。だけど自業自得なんで反論できない。だけど日高がジャージを引っ張ったり腰に手を添えられたりすると、どうしてもくすぐったくて笑ってしまう。
「ひゃっ、日高っ! くすぐったいって。お前わざとやってないか?」
「せっかく繕った鯉のぼりが破けないように慎重にしてるだけだよ」
「それはそうだけど――って、あははっ、そこは駄目だって、脇は触るなーっ」
 そっとさわさわ触られるとめちゃめちゃくすぐったい。何だかさっき笑わせた仕返しをされてる気がするぞ。
「もーいい! 触るな日高! くすぐったい!」
「ちょ、ちよっと篠田君! 暴れないでよ。鯉のぼりが破けるったら!」
 あまりのくすぐったさに日高の下から這い出そうとした俺を止めようと、日高が俺を押さえ込みにかかる。
 ふたりして床の上をコロコロ転がると、そのまま机の脚にぶつかって止まった。
「なーにやってんだろね、俺達」
 日高が俺の上にのし掛かってる。だけど別に重くない。なんとなく心地いい。何だか楽しい。
「本当に、何してるんだろうね」
 日高もそんなことを言いながら楽しそうに笑ってる。
 しばらくそうして見つめ合ってたら、そのまま日高の唇が降りてくる。俺は避けずにそのまま受け止める。だって動けないんだから仕方ない。
 まあ、動けても逃げないんだけどね。


 何度か軽く唇を合わせると、日高はそのまま俺の胸に頭を乗せてただじっとふたりで重なっていた。
 何にもしないし何にも話さないけど、お互いの体温とか呼吸とか色々感じる。
「なあ、こうしてると俺達ってさ……」
「うん?」
「底引き網にかかって捕まったジュゴンと漁師みたいだよな」
 下半身魚状態で動けない自分の今の状況からいうとこれが近いかなーなんてことを言ってみたけど、俺の胸に頬を付けてる日高からは反応がない。
「だーって、俺、動けないんだもん」
 仕方がないからまたピチピチと尾っぽを振ってみる。けど、反応がない? っていうか、まーた日高はぷるぷる震え出す。
「日高?」
「あはははははは、そ、底引き網って、かかったって……君、本当は分かってて、分かって言ってるんじゃないの?」
 反応がなかったんじゃなく、日高はまた笑いを堪えていたけど我慢しきれなくなったらしい。軽く身を起こして一気に弾けるように笑い出した。
「僕としては、一本釣りだったんだけどね。君しか狙ってなかったから」
 なんてわけの分からないことを言いながら、日高は笑い続ける。

 また何かが笑いのツボにはまっちゃったらしい。これはまた当分収まりそうにないなぁ。
 日高は俺の胸に顔を埋めるようにしてくすくす笑い続けている。仕方がないから俺はその背中を呼吸困難にならないようにさする。
 俺はもう起き上がるのも鯉のぼりを脱ぐのも諦めて、そのまま日高が笑い飽きるまで待つことにした。
 こんな日高は誰も知らないよな。ちょっとした優越感に浸りながらふと窓の方を見ると、カーテンの僅かの隙間から青空が見えた。
 細長くちょっぴり見えてる空はそろそろ暮れかかって来てるけど、すっきりさっぱりの五月晴れ。楽しそうな日高の笑い声を聞きながら俺はそんな晴れやかな空を眺めていた。

 明日も晴れるかな。晴れたらいいな。
 そんなことを考えながら、日高の笑いが収まるまで俺達はふたりしてずっと寝転がっていた。

※鯉のぼりは英語ではcarp streamersやcarp penantと言うようですが、なんとなく雰囲気で
Sky Fishと題させていただきました。まあ、なんとなくです。
(up: 30.Apr.2007)

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