このミッションは、秘密裏に行わなければならなかった。
――誰にも知られずにポイントに集合する。
たったそれだけのことだったのに、失敗してしまうとは……
今日は7月7日。あちこちで七夕イベントが開催されている。
俺と日高もそんなイベントの1つ、市民広場で開催される『七夕祭』を見物する為に待ち合わせていたんだ。
祭り見物と言っても俺のメインの目的は夜店での買い食いなんだけど、夜になると広場中央に飾られた短冊の付いた大きな笹がライトアップされるそうだから、それもちょっと楽しみだった。
それに何だか日高が俺に見せたい物があるって言うんで、他の友達には内緒でふたりだけで会う予定だった。見せたい物ってなんだろう? 秘密っていうのはワクワクする。
だから待ち合わせ場所は人目を忍んで『七夕祭』の会場となる市民広場の裏口、というか駐車場側の出入り口の脇にした。今日はこの辺りは交通規制で車は入れないから、この駐車場側にはほとんど人が来ないから。
日が落ちて暗くなってからここで待ち合わせにすれば人目に付かないと思ったのに、途中の道で一番マズい相手に見つかってしまった。
俺は浮かれて甚平(じんべい)なんて着てお祭りモード全開たったもんだから、ちょっと散歩してるだけ――なんて言って逃げるわけにもいかなくて、一緒に見て回ろうと付いてこられちゃったんだ。
母さんが気に入って買ってきたこの甚平。一見紺色の地味な甚平に見えるけど、裾に一匹金魚の刺繍が入っているのがお祭りにぴったりって感じで俺も気に入って、つい着て来ちゃったけど大失敗だったな。
「ごめんな。日高」
「謝らなくていいよ、君のせいじゃないんだから。待ち伏せされてたんじゃしょうがないよ」
ミッション失敗を謝る俺を慰めて、日高は俺の腕をがっちり掴んでいる西森に冷たい視線を送ったが、西森も負けじと言い返す。
「待ち伏せって言い方は心外だな。俺はただ誰か知り合いが来たら一緒に回りたいなと思って道ばたで立ってただけですよ。そしたら篠田先輩が通りがかったんです。まあお祭り好きの篠田先輩が、この七夕祭りに行かないわけが無いと思ってましたけど」
西森には10日から期末テストなんで、七夕祭には行かないかもとそれとなく言っておいたのに。
はっきり行かないって言うと嘘になるから曖昧にごまかしたんだけど、やっぱバレてたか。
って言うか、俺がお祭り好きってなんで西森が知ってるんだ? 相変わらずの情報収集能力に呆れるというかちょっと感心した。
俺の腕を掴んでいるのは、生徒会男子副会長の西森直也。
生徒会長の日高とはパートナーの間柄のはずなのに、仲が悪いというか気が合わないというか……
そんなふたりの間に入った俺は大変だ。
西森は日高のことを気に入ってると言うんだけど、西森は元々の態度が図体と同じくデカいもんだから日高には伝わらないんだよね。
日高が気に入ったという西森は、俺と『非公認・日高ファンクラブ』を発足して、その会員1号、2号として仲良くやってるんだけど。
でも『ファンクラブ』と言っても会報を作ったりとか特に活動はしてるわけじゃない。
日高は騒がれるのは嫌いだし、西森も次の生徒会長を目指す上で日高の活動を参考にしたくて俺から話を聞きたがってるだけなのを、俺が面白がってファン活動と言ってるだけだから。
でもそんなおふざけに付き合ってくれる相手が居るのは楽しいし、俺としては日高にも西森と仲良くして欲しいから、今日は一緒にお祭り見物してもいいんじゃないかな? と、思うんだけどふたりの様子を見てるとそんな雰囲気じゃなかった。
「悪いけど、聡は僕とふたりで行くと約束をしてたんだ。君は遠慮してくれないか」
「お祭りはみんなで見て回った方が賑やかで楽しいですよ」
日高は西森と逆の右隣に来て俺の腕を取って軽く引っ張った。けど西森も負けじと俺の左腕を掴んでいた手に力を込める。
両脇からふたりに腕を取られた俺は、何だかリトルグレイ――両手を掴まれて捕獲されてる有名な宇宙人の写真、あの宇宙人の気分だ。
お祭りなんて混雑した場所で、3人が横並びで歩いたんじゃ迷惑だし歩きにくいからこのままじゃ会場には行けないよな。何とかしないと。
「なあ、3人で並んで歩いたら歩きにくくない?」
それに真ん中の俺は好きな屋台を見に行けないから困る。
「じゃあ日高先輩、先頭をどうぞ。俺と篠田先輩が後を付いて行きますから」
「どうしてそうなるんだ。僕と聡は一緒に行く約束をしてたんだから、君が前か後ろに行くべきだろ」
「どうでもいいから早く行こうよ」
「どうでもよくないよ」
「どうでもよくないです」
溜息混じりの俺の提案は、ダブルの突っ込みで封じられてしまった。……このふたりって意外と気が合うと思うんだけど、そんなことを言ったらふたりとも嫌がるのは分かってるんで黙っておくことにする。
それにしたって、このまま祭り会場を目の前にして三すくみをしていても仕方がない。
「甚平似合ってるね。それにその刺繍、いいね」
「あ、うん。可愛いだろ。流金」
どうしたものかと悩んでいると、日高が俺の甚平の裾の金魚に気付いて微笑んだ。
突然話が変わってびっくりしたけど、お気に入りポイントに気付いてもらえてちょっと嬉しい。
俺の甚平の裾の金魚を見ていた日高はそれで何かを思いついたみたいに、にっと笑って西森の方を向いた。
「ここは金魚掬いで勝負しないか?」
「何を勝負するんです?」
「金魚掬いで勝った人の言うことに従うって事」
「いいですねぇ。でもいいんですか? 俺は結構上手いですよ」
「聡は?」
「うん、俺もそれでいいけど……俺はそんなに上手くないぞ」
つい大物狙いでいっちゃう俺は、せいぜい1匹。もしくは0なんだよね。
でも自分から言い出したって事は、日高は自信があるんだよな。俺はとにかくこのリトルグレイ状態から逃げられれば何でもいいや。
俺達は横並びのまま入り口付近の金魚掬いの屋台に向かった。
金魚掬いの店には子供達が群がって、金魚を眺めたり掬っている子を見ていたりして結構盛況だった。
そんな中、何とか隙間を確保した俺達は、屋台のおじさんから金魚を掬うポイを受け取った。
「負けませんからね」
「気合い入ってるな」
早速かがみ込んでポイを手にやる気満々の西森に続こうと、しゃがみかけた俺を日高が止めた。
おまけに俺の手からポイを取って自分の分と2つを、近くで金魚掬いを見ていた小学生くらいの小さな男の子2人連れに差し出した。
「これ、もらってくれないかな」
「え? どーして?」
「僕達は急に用が出来ちゃったからもう行かなきゃ駄目なんだ。代わりにやってくれる?」
男の子達は互いに顔を見合わせていたが「無駄にするのは勿体ないから」という日高の言葉に、嬉しそうにポイを受け取ると水槽の前にかがみ込んだ。
そんな俺達に気付かずすでに掬い始めていた西森はと言うと、隣で掬っていた親子連れのお手本にされていた。
「ほら、こっちのお兄ちゃん見てご覧。上手だね」
「ホントだー」
得意だと言うだけあってすでに1匹掬っていた西森は、親子連れの視線を浴びつつ2匹目も難なく自分のお椀の中に入れた。
「今の内に行こう」
「え? でも西森は……」
「後で合流すればいいから。行こう」
俺は日高に手を引かれて、西森を置いたまま早足でその場を離れた。
「こう……しっぽはポイの外側に出して、横から水を切るようにして水の抵抗を無くしてお椀に入れるといいんだ」
「わー、すごーい。また取れたよ」
振り返ると、西森の華麗なるポイさばきに周りの子供から歓声が上がっていた。
――ごめん、西森。金魚掬いのテクで小学生に大人気なお前の勇姿は忘れないぞ。
心の中で西森に手を合わせて謝りつつ、俺は日高に手を引かれてどんどん歩いていった。人だかりの中だからそんなに早くは歩けないんだけど、とにかく日高は進んでいく。
「どこに行くんだよ、日高」
「少し歩くけど付いてきて」
もう中央の七夕飾りも通り越して祭り会場の広場を出てしまう。でも目的地を聞いても応えてくれない日高に、俺はただ付いていった。
日高は市民広場の正面の出入り口を出て普通の住宅地を進んでいく。結構きつい上り坂をどれくらい歩いただろう。もうすっかり祭りの喧騒も届かないくらい。
俺はこの辺りにはあんまり来る機会がないんで、日高がどこに向かっているのか見当も付かない。せめてどこに向かっているのか位教えて欲しい。
「なあ、どこに行くんだよ?」
「やっぱり七夕だから天の川が見たいと思って」
そう言われて空を見上げてみても今日は曇ってるし、この辺りにプラネタリウムなんて無い。日高が一体どこに行こうとしているのか分からなかったけど、俺は天の川ってのが気になってとにかく付いていった。
ようやく日高が立ち止まったのは高台の公園――と言うほどじゃないんだけど、ちょっとした広場というか、歩道が広くなってて木が植えられてベンチなんかも置いてある、道の途中の見晴らしのいい休憩所といった感じのところだった。
最近はウォーキングが流行ってるから、そういう人達の休憩所なんだろうか? 確かに市内が一望できる眺めの良さは、立ち止まる価値があった。
日高と端の手すりまで行って下界を見下ろすと、街には宝石箱の中身をぶちまけたみたいに色んな光が輝いてて、まさに地上の星って感じできれいだった。
「わあ、すっごいいい眺め」
「ね、あっちの方を見て」
日高の指差す方向を見ると、右手の山の裾の方にオレンジ色の光の帯がきれいに続いていた。
「え? あれ何だろ?」
「国道のバイパスだよ。今日はお祭りの影響で混雑してるみたいだね。お陰でいつもよりライトが多くてきれいだ」
「ああ、新しくできたショッピングタウンの横を走ってる道路! こんな所から見えるんだ」
バイパスの道路を照らすライトと、車のテールランプが光の帯のように地面に走っている。あのバイパスはちょっと街外れにあるせいか、周りに他の明かりが少なくて道の流れががくっきりと浮かんで見える。
「もしかして、これが天の川?」
「最近の七夕の日って曇ったり天気のよくない日が多いし、それにこの辺りじゃ晴れてても天の川が見えるほど空気もきれいじゃないから代用で我慢して」
「ううん。すっごいきれいだ」
俺は手すりから身を乗り出すようにして眺めた。下から吹き上げる風も、早足で歩いてちょっと汗ばんだ身体に心地よくて気持ちいい。
俺達はしばらくそこで地上の天の川を眺めていた。
「なあ日高。今度は西森も連れてきてやろうよ」
日高の機嫌が良さそうなのを見計らって切り出してみた。ふたりには仲良くして欲しいから。
「どうしてあいつまで。君は僕とふたりじゃ嫌だって事?」
「そんなこと言ってないよ。ただ置き去りにするのは可哀想じゃないかなって……」
「僕は君と見に来たかったんだ」
日高は俺の腕をつかんで自分の方に引っぱって顔を寄せてきた。これってばちょっと! 俺は慌てて手を突っぱねて日高を押し戻した。
「ちょっと待った!」
「嫌なの?」
嫌って言うか、ここはちょっと道路から奥まってるとはいえ後ろには車が通ってるし今は人気はないけど、いつ誰が歩道を歩いてくるか分かったもんじゃない。こんな所でキスは無理。
後ろを気にする俺を、日高は道から死角になる樹の陰に引っ張り込んだ。
「ここならいいよね」
「いいって……ちょっと」
いつもより強引な日高に戸惑う俺の肩を、後ろの木に押しつけてキスしてきた。
「……んんっ」
日高は逃げようとする俺の足の間に自分の足を割り入れて身体ごと後ろに押さえつけ、逸らそうとする顔を掴んで噛み付くみたいに唇を合わせてくる。
前にも体育館倉庫でこんな風にキスされた。こんなときの日高は怒ってるんだよね。
あの時は俺が悪かったんだけど、今回は怒られる謂われはないぞ。
歯を食いしばって拒むと、日高は肩を押さえつけていた手を甚平の合わせの間から中に滑り込ませてきた。すっと手のひらを脇の方に入れられて、くすぐったさに一瞬身体が強ばる。
「ん! ん、や」
俺がくすぐったいの苦手だって知ってるくせに! ……知ってるからしてきてるのか。とにかくそれに気を取られて思わず声を出しちゃった隙に日高の舌が滑り込んできた。
日高とキスするのは嫌いじゃない。と言うか、正直好きだ。
だけどこんな風に強引にされるのは腹が立つ。だけど口を閉じようにもがっちり顔を掴んだ手は引きはがそうとしても放してくれないし、もう片方の手は脇というか腰に添えられてるから動くとくすぐったいしでどうしようもない。
何も出来ないって情けない。こんな自分勝手な日高は嫌だ。
自分にも日高にも腹が立って思わず鼻の奥がツンと痛くなる。駄目だ、耐えろ。
必死に耐えたけど、日高が俺の顔を掴んでいた手をゆるめたんで思わず顔を背けたはずみに目尻いっぱいまで溜まっちゃった涙がこぼれてしまった。
慌てて腕で拭ったけど、見られたかも。ここは街灯からちょっと離れてて暗いから大丈夫だったかな。
情けないのと恥ずかしいのとで顔が上げられない。
「聡。……聡、ごめん」
いつまでも顔を上げない俺を日高がそっとのぞき込んでくる。やばいなぁ、これは見られたかもしれない。恥ずかしいじゃないか。ますます顔が上げられなくなる。
「そんなに、嫌だった?」
「嫌って言うか……何で、そんな……何でこんな、怒るんだよ」
わけが分からなくて混乱する。喉の奥が痛くて上手く声が出ない。だけどこれは聞かないと。
「だって、君があいつの事ばかり言うから。僕より西森の方がいいの?」
「そういうわけじゃ……俺は日高のこと好きだよ。でも西森も日高のこと好きなのに邪険にするから可哀想で。もう少し仲良くしてやってもいいじゃない」
「あいつが好きなのは僕じゃない。あいつは――」
日高はそこで言葉を切って、その先を言わなかった。
「あいつは、何?」
「それは僕の口から言う事じゃないから。君こそどうしてあいつにそんなに肩入れするんだい?」
日高は俺の質問に答えず、今度は逆に俺が質問されてしまう。
「だって、西森は日高のこと好きなのに日高はあいつを嫌うから……俺もあんな風に邪険にされたら嫌だろうなって思って。俺、日高に嫌われたら辛いだろうなって……他人事に思えなくて……だから」
「僕が君を嫌うなんて有り得ないよ」
日高は驚いた様子で首を横に振るけど、有り得ないって事はないだろ。
「大体さ、日高が俺を好きな理由ってのが分からないんだよね」
「走ってる君が好きだって、前に言わなかったっけ?」
日高は陸上競技が好きだから、足の速い奴を好きになるのは分かる。
でも俺は足が速いっていっても中距離がメインで、短距離なら同じ陸上部の中田の方が速い。だからそれだけが好きな理由じゃないんだろうけどけど、他の理由が何なのかは分からない。
それに、それじゃあ走るのを止めたら俺の事を好きじゃなくなるって事?
「じゃあ、俺が走るのを止めたら?」
「それも有り得ないね。君は走り続ける。だから君が好きなんだ」
自信たっぷりに言い切ったけど、俺が走り続けるってそんなこと何で日高に分かるんだ? だけど実際、俺は絶対に走るのを止めないだろう。例え両足が無くなっても車椅子とか義足付けてとか、とにかく身体が動く限り絶対に走るのは止めないと思う。
前に事故で骨折して走れなかったときに切実に思った。俺は走れないと生きていけない。それくらい走るって事が好きだ。
でもこんな話は日高にも誰にもしたことはない。なのに日高はそんな俺の気持ちを分かってくれてるんだ。
「機嫌直った?」
嬉しくなって思わず日高の腕にしがみついた俺に、日高が笑いかけてくる。
「うーん、たこ焼き食べたら直るかな?」
本当はもうすっかり機嫌は直ったんだけど、そうしたらお腹が空いてるのを思い出した。
屋台でがっつり食べようと夕飯抜きで来たんだよね。
「広場に戻ろうよ。それでさ……」
「うん。西森を捜そう」
俺の言いたかったことを察してくれた日高の腕を掴んだまま、俺達はお祭り会場の市民広場に戻った。
広場まで戻ると、探すまでもなく正面入り口に立っている西森を見つけた。無言だけど当然ながら目が怒ってる。
「えっとー、あのさ西森」
西森の目の前まで行って、何て謝ろうか悩む俺の前に西森はずいっと金魚の入ったビニールの袋を付きだした。
「6匹掬いました。おふたりは0ですよね。俺の言うことを聞いて貰いましょうか」
「僕も1匹捕まえたよ。量より質で僕の勝ちだ」
そういうと日高は後ろっから俺の首にホールドを掛けた。一瞬日高が何を言ってるのか分からなかったんだけど、自分の甚平を見て気付いた。
「ああ、この刺繍の金魚! って、俺は掬われちゃったわけ?」
「そう。君は僕の物」
「どさくさに紛れて何を言ってるんです。そんなのずるいですよ」
西森は後ろから俺を抱え込んでる日高の腕を引っぺがして、俺を自分の方へ引き寄せた。
「でも質がいいのは認めるよ。ここは篠田先輩のひとり負けってことにしておきますか」
「ええ? なんでそうなるんだよ」
「まあ、そういうことになるかな」
「なんだよ! 日高まで」
ふたりして勝手に話を決めるな! やっぱりこのふたりってば気が合うんじゃないか。何でこれで仲良くできないんだ。これが同族嫌悪ってやつなのか?
「俺、焼きそばが食べたいな。奢れとは言いませんよ、先輩のを半分下さい。ふたりで半分こして食べましょう」
「それじゃあ僕はフランクフルトがいいな。マスタードはあまり付けないでね」
思わず考え込んじゃった俺を無視して、勝手に話は進んでいく。
「な、なんだよふたりして勝手に俺の食べるものを決めるなよ! 俺はたこ焼きとベーコンエッグ鯛焼きが食べたい!」
「それも良いな。じゃあ、早速行きましょう」
西森が俺の腕を取って会場の屋台に向かって歩き始めた。その後ろを日高が付いてくる。
「いいんですか?」
「少しは譲るよ」
「……その余裕が憎らしいですねー」
前と後ろに別れても仲良くケンカを始めるふたりに、俺は苦笑いしながら溜息をついた。