夏と言えば楽しい楽しい夏休み―― なのは高校2年生まで。
3年生になれば大学受験に向けて夏休みだからって遊んでなんていられない。
とはいえ俺はもうスポーツ推薦に必要な競技成績と科目の評定平均値3.0以上って条件をクリアしてるから、後は卒業できればいいだけなんで結構のんきに構えている。
だけどそんなお気楽な俺と違って、日高はこれからセンター試験とか色々待ち受けてるから塾の夏期講習に行きだした。
日高は頭がいいからそんなの必要ないだろうと思ってたんだけど、受験向けの勉強は学校の勉強とはまた違うからその辺りを補習したいんだそうだ。
無事に卒業さえ出来ればいいっていう気楽な立場の俺にはその辺の所はよく分からないんだけど。
とにかくそんなわけで、俺は夏休みに入ってからはなかなか日高と会えずにいた。
だから8月に入って、日高から時間が出来たから会おうと電話を貰った時はすごく嬉しかった。
久しぶりに日高とふたりきりで会う。しかも始めて日高の家に呼んでもらった。
これはすごーく嬉しい事のはずなのに、俺は背後にどんよりとした暗雲を背負って恨めしげに向かいに座った日高を見ていた。
せっかく久しぶりに日高と会って遊べると思ったのに、今日は日高の家でお勉強会なんだもんな。
俺はいつも夏休みの宿題は8月の終わりに徹夜で仕上げる。俺ってばギリギリに追い詰められないと出来ないタイプだから。
だけど今年は俺の宿題の進行状況を聞きいた日高から勉強会の強制執行命令を受けてしまって、こうして日高とふたりで宿題のプリントと向き合う羽目になっちゃったんだ。
3年生は夏休みの宿題がないって高校もあるのに、うちの高校はあるんだよね。
英語のテキストの訳とかプリント数枚程度の簡単な物が多いけど、定番の読書感想文なんてのも書かなきゃいけないから面倒くさい。
本を読むのは嫌いじゃないけど、感想文は苦手なんだよね。「面白かった」でいいじゃないか。
それにおまけに2学期のテストに向けての予習もしておかないといけない。このテストの成績が悪いと最悪卒業できないから、それなりに夏休みも勉強を頑張らなきゃいけないのは分かってるんだけど……。せっかくの日高んち初訪問が勉強会だなんてがっくりだ。
それに今日は絶対日高とプールに行きたかったのに。
とはいえ日高の家ってどんなのか興味はあったから、まずは日高の家に行くことにした。
目印になる学校近くのスーパーの前で待ち合わせて始めて行った日高の家は、この辺りでは昔から閑静で大きなお屋敷が多いんで有名な住宅地の中にあった。
日高の家も古そうだったけど大きくて立派な日本家屋で、特に庭が広くて松とか和風な木が茂っていて、さらに門から玄関まで続く石畳には打ち水がしてあって涼しげだった。
実際アスファルトの道路からこの庭に入っただけで体感温度が下がった気がした。
タンクトップに七分丈のボトムにサンダル、と少しでも涼しい恰好をしてきたけどここに着くまでに溶けるかと思うほど暑かったもんな。
家に上がって通された座敷には縁側なんかもあって、大きな窓を全開にすると結構風が来るし扇風機も付けてくれた。
ここは住宅密集地の俺の家に比べればずっと涼しいんだろうけど、でもやっぱりむしむしした湿気を含んだ夏独特のこの暑さは堪らない。
初めのうちは俺も何とか真面目に課題に取り組んでたけど、1時間もしたらもうダレてきた。
途中で日高からクーラーをつけようかと言われたけど、俺はクーラーって苦手なんで断った。クーラーの効いた部屋に長くいると喉が痛くなってくるんだよね。
大体、普段の陸上部の部活では炎天下でもガンガン走ってるのに比べれば、この程度の暑さはどうって事無いはずなのに、集中力が続かない。
やっぱり好きな事って苦にならないんだな。勉強も陸上の半分ほどでいいから好きだったらもうちょっと成績も良かっただろうなー。なんて、どうでもいいことに考えがそれていってしまう。
俺のやる気はもう完全に削がれていた。
「日高〜。暑いよぅ」
「夏だからね」
座敷にデンと据えられた大きな木の机に突っ伏してダレる俺を、日高はさらっとかわしてプリントにペンを走らせている。
部屋は暑いのに日高は冷たい。こんな冷気は要らないぞ。
夏と言えば海だろう! と、言いたいところだけどここから海は遠いんでプールでいい。
冷たい水の中で思いっきり身体を動かしたい。夏のスポーツと言えばなんと言っても水泳だ。
日高だって勉強ばっかりじゃ身体がなまっちゃうだろう。受験には体力も必要だから強引に誘う。
「もう今日はいいじゃないい。英訳の課題は終わったんだからプールに行こうよ!」
「3時になったらお母さんがかき氷を作ってくれるって。だから頑張って」
かき氷―― それはとっても魅力的な響き。その言葉にちょっと元気になった俺は机から顔を上げた。
家でかき氷を作ってもらうなんて小学生の時以来な気がする。家にあったペンギンのかき氷機はどこに仕舞っただろう?
懐かしさにぐらりと心が揺れる。かき氷を食べさせてもらえるならもうちょっと勉強を続けてもいいかも。
でもでも、俺は絶対日高とプールに行きたいんだ! しかも今日。
「かき氷は諦めるからプールに行こうよ」
俺は座ったままずりずりと日高ににじり寄ると、覆い被さるみたいにべったりくっついた。
「ち、ちょっと、聡!」
ふっふっふっ。どーだ、暑苦しいだろう。さすがの日高も暑がって俺を引き剥がそうとするけど離してやらないもんね。
畳の上に横倒しになった日高に、尚も縋り付く。
「プール行こうよ。日高ー」
「聡ってば! ……ちょっと、離れてよ……ねえ。その……暑いから」
「やだよ。プールに行くって言うまで離さない」
いつも日高の強気に押され気味だけど、俺だってやるときはやるんだからな! 日高の首筋に腕を回してぎゅうっとしがみつくと、後ろから日高の顔をのぞき込む。
「なあ、プール行こうよ、日高。プールは気持ちいいよ」
「分かった! 行くよ。行くから離して」
「ホント?」
「本当だったら」
言い切る日高に、俺はようやく腕をゆるめて日高から離れた。日高も起き上がって座り直したんだけど、その顔を見ると何だかちょっと赤くなっていた。
これは調子に乗って首を強く絞めすぎちゃったかも。
「あ、大丈夫だった? 日高」
「え? あ、うん。でも君、今から家に帰って水着を取ってくるんじゃ時間が掛かるだろ? だからプールは明日にしようよ」
「大丈夫! 俺、ズボンの下に水着履いてきてるから」
今日は絶対に日高とプールに行くと決めてたんだ。ズボンをちょっとずらして中に履いていた水着を見せると、日高は呆れたようにそっぽを向いた。
「まったく……本当に君には敵わないよ」
何だよ。そんなにバカにすること無いだろう。呆れかえる日高にムッとしたものの、プールに行けるならそんな気分はすぐに吹き飛ぶ。
「ほら、早く日高も準備して。すぐに泳げるように日高も水着履いておきなよ」
「分かったから、ちょっと待ってて」
俺は苦笑いを浮かべる日高を急かしてプールに行く準備をさせた。
結局予定を無理矢理変更してプールに行くことにしたんでかき氷はおあずけかと思っていたら、まだ3時前だったのに日高のお母さんはかき氷を作ってくれた。
日高のお母さんは気さくで優しくて親切で、日高がこんなに真面目に育った理由が分かる気がするいいお母さんだった。
気さくを通り越して馴れ馴れしいと言うか、デリカシーのないうちの母さんにはぜひ見習って欲しい。
なんて思いながら、ガラスの器に山盛りにしてもらったかき氷に、イチゴのシロップに煉乳をたっぷり掛けて美味しくいただいた後でプールに行くという贅沢なコースをたどることになった。