かき氷で体を冷やした後、俺と日高はバスで県立の運動公園の中にあるプールへ向かった。
今日も暑くて絶好のプール日和だからプールは混雑してると思ったけど、かき氷を食べててちょっと遅くなったせいで時間的にもう帰り支度を始めてる人が多かった。
人が減ってくれるのは嬉しいけど、お陰で脱衣所は水着から服に着替える人で混雑していた。
ここのプールの閉園時間は5時だから、泳げる時間はもう後2時間もないもんな。
服の下に水着を着てきて大正解。俺は時間の節約に混雑した更衣室の外の、空いてるコインロッカー前で服を脱ぎ始めたんだけど、タンクトップを脱いだところで日高に止められた。
「ちょっと、聡。こんな所で」
俺は子供の頃からこのプールにはよく来てるけど、更衣室が混んでなくても手っ取り早くこのロッカー前で着替える人は結構多い。もちろん男だけで女の人はしないけど。
だから今日も普通にそうしようとしたんだけど、日高はびっくりしたみたいだった。
あんまりここには来たことがないのかな?
「いいのいいの。俺、子供の時からいつも混んでるときはここで着替えてから。それにほら、向こうでも着替えてる子がいるだろ」
「あの子は小学生だろ! もう僕達は大人なんだから――」
「ごちゃごちゃ言わないの! 日高も早く脱いでよ」
別にここでパンツまで脱いで素っ裸になるわけじゃなし。水着になるだけなのに大げさだな。
俺は戸惑う日高のTシャツを掴むと引っ張り上げた。
「ちょ、ちょっと聡」
「はい、バンザーイして」
「分かったったら、自分で脱ぐから」
無理矢理脱がそうとする俺に観念したらしい日高の服から手を離すと、日高は軽く息をついて困惑した様子で俺を見た。
「何だか今日の聡は変だよ。強引というかハイというか…… 何かあったの?」
「だって日高と会うの久しぶりなんだもん。テンションも上がるって」
学校がある間は毎日のように会ってたのに、夏休みに入ってからはほとんど会えなかった。夏休みに入る前からも、日高は夏期講習の塾選びとか何だとかで忙しそうで休みの日には会えなかったし、正直ちょっと寂しかったんだ。
今からこんなんじゃ、お互い別の大学に行ったらもっと寂しいんじゃないかな。そう思ったら今は少しでも長く、近く、日高の側にいたかった。
でもあんまりしつこいと嫌われるかも……とちょっと不安になったんだけど、日高はにっこりと笑ってくれた。
「僕も聡と久しぶりに会えて嬉しいよ。じゃあ、早く行こう」
日高は俺のノーテンキな言葉に逆らう気力も失せ果てたのか、さっさと服を脱ぎだした。俺も慌ててズボンを脱いで海パン一丁になる。
後はスポーツタオルだけ取り出して、他の荷物をロッカーに突っ込んで準備OK。俺達は勇んでプールに向かった。
この運動公園内のプールは色んなタイプのプールがあって、入ってすぐは子供向けの小さな浅いプール。その隣は真ん中に噴水や滝がある変形型のプール。真ん中は流れるプールで一番奥ががっつり泳ぎたい人用の50mプールになってる。
俺達はまず流れるプールにいってぐるりと一周、泳ぐというより流されながら歩く感じで水に体を慣らした。
この流れるプールはここの一番人気で、普段なら人とぶつかるくらい混雑するんだけど、さすがに時刻がもう4時前ともなると空いていた。
来るのが遅かったから今日はあんまり泳げないと思ったけど、これだけ空いてれば泳ぎ放題だからみっちり泳げるな。
「んーっ、久しぶりのプールはやっぱりいいねぇ」
俺はがら空きのプールで思いっきり腕を伸ばして水しぶきを上げた。降りかかる雫に日高が顔をしかめながら笑う。
「僕は今年初めてのプールだけど、聡は?」
「俺も今年は初めてだよ。みんなやっぱり受験生だから誘いにくくってさ」
「君だってそうだろ。――それに、受験生じゃない友達もいるでしょ?」
「俺は推薦入試だから、筆記はホントに簡単な物だけだから気楽だよ。でも今年受験じゃない後輩はみんなクラブが忙しいし、西森も1年なのにもう塾の夏期合宿なんて行っちゃってるし……今年は遊んでくれる人が居なくて寂しいよ」
俺はプールサイドのタイルにかけた腕に顔を乗っけて、大げさに落ち込んだ振りをした。
「ごめんね。つき合えなくて」
「あ、いや、別に日高が謝ること無いだろ。今日はこうして付き合ってくれたし」
俺は慌てて顔を上げて申し訳なさそうに謝る日高にフォローを入れると、日高は少し安心したように笑った。
「今日は目一杯つき合うよ」
「じゃあ、今度は50メートルプールで競争しよう!」
気分を変えようと俺は元気よく流れるプールから飛び出すと、50mプールを指差した。
「駄目だよ。君には勝てっこないよ」
「ハンディあげるから。俺は平泳ぎで日高はクロールとか。だからほら、行こうよ」
俺はプールサイドから日高を引っ張り上げて、今度は50mプールへ向かった。
9コースもある大きな50mプールには大学生くらいの男女数人と、ひたすら泳いでいるおじさんおばさんの10人程度しか入っていなかった。
このプールは本当に泳ぎたい人用だからボールなんかの遊具は持ち込み禁止。しかも水深が一番深いところは150センチもあるせいで、入るのに年齢と身長の制限があって子供は入れないからいつもそんなに混んではいない。とはいえこんなに空いてるのは初めてだ。
俺も泳ぎに来るときは朝から来て3時頃には帰るってパターンが多いから、閉園前はこんなに空くなんて知らなかった。これは結構オイシいな。
―― 以前から一度やってみたかったミッションを実現するチャンスじゃないか?
俺は日高に近づいてこっそりと耳元に話しかけた。
「あのさー、日高。お願いがあるんだけど」
「え? 何?」
「ちょっと付き合って欲しい実験があるんだ」
「実験?」
日高は不思議そうに眉を寄せて俺を見た。
そりゃそうだ。いきなり、しかもこんな所で実験なんてないよな。でも俺の試したいことはプールか海でしか出来ないんだ。いや、浮力や波がある分、海の方がやりにくいだろうから、やっぱりプールでやるのが一番。
しかもこのプールは端っこでも水深は130センチもあるから今回のミッションにぴったりだ。
「あのさ、ほら、映画とかで水中に取り残された人に口移しで空気をあげるっていうのがあるじゃない? あれは本当に出来るのかってやってみたいんだ」
「ええ? そんなの出来るわけ無いだろう」
かの007もやっていた空気の口移し。出来るものならやってみたい! あっさり否定する日高に食い下がる。
「でも試してみたいんだ。俺もあんなの無理だと思うんだけど、いくら映画だからって本当に出来ないことならあんなにたびたび出てこないと思うんだよね。と言うことは意外と簡単にできるんじゃないかなーって」
「無理だよ。あれはフィクションだよ。ちゃんと映画には “これはフィクションです” って断りが入ってるだろう?」
「日高『今日は目一杯つき合う』って言った」
「……分かった。やるよ」
恨めしそうな目で日高を見つめると、また何か言おうと口を開けかけた日高はそのまま溜息をついて不承不承といった感じでだけど了承してくれた。
日高の論理武装も、理屈抜きで食い下がる俺の前には通じない。出来ないなら出来ないって自分でやってみて納得したかったんだ。
抵抗を諦めた日高と一緒に、まずは手前のコースで泳いでいる大学生のグループを避けてプールの一番端まで泳いでいった。
ひたすら泳いでいる人達は、俺達なんて目に入っていないだろうから大丈夫だよな。
監視員の方を盗み見ると、もう片付けの準備の方に気が行っているのか、掃除用の網を持った別の監視員と話をしている。特に俺達を気にしている感じはない。
まあこっちを見たとしても水の中で何をしているかまでは見えないだろうから、俺達は普通に潜水ごっこをしている風に見えるだろう。
条件は整った。後は実行有るのみだ!
「じゃあ、これからどうする? 先にどちらかが潜るの?」
日高はやると決めれば行動派だから、グズグズなんてしていない。
俺は慌てて作戦を立てる。
「うーん。そうだなぁ、あんまり本気で苦しくなるまで潜るのは危ないから、一緒に潜ってさっとやっちゃおうよ」
「分かった。それで、どっちがどっちに空気を送るの?」
「んー、別にどっちでもいいけど、俺から日高にでいい?」
「僕もどちらでもいいから、それでいいよ」
打ち合わせを終えた俺達は、タイミングを合わせて1・2の3で同時に潜った。
コポコポと視界を遮る気泡が消えても、水中のゆがんだ景色の中では目測が付きにくい。お互いの腕を取って引き寄せて、まずは唇を合わせようとしたんだけど、水の中では上手く動きが取れない。
腕を取って顔を近づけてみても、お互い体が浮いちゃわないように足を動かしてるから体がぶれて上手く唇を合わせることが出来ないんだ。
結局もがいている間にふたりとも息が続かなくなって浮上してしまった。
水面に顔を出した俺達は、大きく息をついて酸素を貪る。
あまりじたばたしながら潜っていると監視員に溺れていると間違えられかねないし、もっと素早くやらないと。
でも何度か繰り返し挑戦してみたけど上手くいかない。
プールサイドに掴まって休憩しながら、俺達はミッションを練り直すことにした。
「意外と難しいね。もっと簡単だと思ってた」
「はじめから腕を掴んで潜った方がいいんじゃない? いや、それよりどちらかが腕を掴んで、どっちかが顔を引き寄せるって役割分担をした方が能率的かもしれないね」
乗り気じゃなかった日高もやり始めたらその気になったのか、積極的に方法を考えてくれる。
俺は付き合ってくれる相手さえいれば、もっと簡単に出来る実験だと思ってたから具体的にどうすればいいかなんて考えてなかったから助かる。
だって口移しって、要はキスだし。ただの友達相手じゃ頼めない。
日高なら、日高とならもう何度もキスしてるから平気だ。……最近は全然してないけど。
「で、どっちにする?」
「え? 何が?」
「だから役割分担の話だよ。どちらが腕を掴む?」
思わず考え込んでしまってた俺に日高が呆れた顔をする。自分でやりたいと言って始めておいてボーッとしてちゃ駄目だよな。集中しないと。
「じゃあ、日高は腕を掴んでくれる? 俺が顔担当で」
「いいよ。じゃあそれでもう一度やってみよう」
互いの役割を決めると、日高は俺の腕を掴み俺は日高の肩に両手をかけて息を合わせて再び潜る。
頭まで潜ると日高がすぐに俺を引き寄せた。俺の方も日高の肩に置いた手を首筋にずらしてお互いの顔を近づける。
日高の顔を固定すると自分の顔を少し傾けて唇を合わす。
よしっ、第一関門クリア!
後はしっかり口をくっつけて空気を送るだけ。何だ、コツさえ掴めればやっぱり意外と簡単なんじゃないか。と、思ったんだけど――
プールサイドにしがみつきむせ返る日高君の横で、俺は笑いすぎてむせ返っていた。
お互い口を開けたときに水が入っちゃって、それがそのまま空気と一緒に日高の気管に流れ込んじゃったらしい。
「あはははははははっ、ご、ごめ……ごめんねっ、ひだ、か」
日高にとっては笑い事じゃない事態なのは分かってるんだけど、妙にテンションが上がってしまって笑いが止まらない。
「大、丈夫。だけど、やっぱり、映画はフィクション……だね」
咳き込みすぎて真っ赤になりながらも、日高も “映画はしょせんフィクション” という持論が正しかったと分かったせいか楽しそうだった。