晴天の下の体育祭。
面倒がる奴やダレてサボる奴もいる中、俺はめちゃくちゃ張り切っていた。
なんと言っても高校最後の体育祭だ。もうすぐこのグラウンドで走ることも無くなる。そう思ったら全力を出し切りたかった。
それに陸上部員は、個人競技では3位以内に入らないと罰ゲームというクラブルールが存在してるもんな。
罰ゲームと言っても男子は海パン一丁でグラウンド10周。女子は男子の学ランを着て校舎の周りを1周、というお遊び要素の強い物なんだけど。
でも何にせよ負けず嫌いの俺は張り切っていた。
日高は生徒会長だから自分が競技に出るとき以外はずっと生徒会のテントの中にいて一緒にはいられないけど、俺が出る競技はちゃんと見てて応援してくれていた。
副会長の西森もそんな感じだったから、今日は朝から話す機会はなかった。
その西森が一般のテントの後ろを通って生徒会のテントの方に戻ろうと歩いてるのを見かけた俺は、驚かそうとして後ろからそろっと近づいて西森の異変に気付いた。何か歩き方が不自然だ。
俺は驚かすのは止めにして、普通に近づいて声を掛けた。
「西森」
「篠田先輩。今日は頑張ってますね。いや、今日も、かな」
生意気な口の利き方も相変わらず。だけど、やっぱりちょっと元気がないって言うか、僅かに眉間に皺がよってる気がする。
「なあ西森。お前、足どうかしたのか?」
「ああ……さすが陸上部員ですね篠田先輩。目ざといな。ちょっとひねっただけで大丈夫ですよ」
「ちょっとって、大丈夫か? ひねったとき変な音がしたりしなかった? ちょっと腫れてるみたいだけど……とにかく靴と靴下脱いで見せてみろ。いつどこでやったんだ?」
立ち止まって見ると、左の足首がちょっと腫れてるっぽい。質問攻めにしながら西森の足の具合をもっとよく見ようと屈みかけた俺を、西森が手で押し止めた。
「大げさですね。さっき障害物走で平均台から落ちただけですよ」
「あー、平均台かぁ。勢い余って落っこちたのか」
「そんなにドジじゃないですよ。……突き飛ばされれば誰だって落ちます」
「え? それって、焦った後ろの奴にやられたのか? それは災難というか何というか……とにかく早く手当てしないと。救護テントに行こう」
俺は西森の腕を取ってグラウンドの道路側の端に設営されてる救護テントに連れて行こうとしたけど、西森はするりと腕を抜いて俺から離れる。
「いいんですよ」
「いいってお前、捻挫を甘く見るなよ。ヘタすると骨折よりも長引くんだぞ」
そのまま行こうとする西森の腕を、俺はもう一度掴んで引き留める。捻挫って甘く見られがちだけど、最初の手当を怠ると完治しにくい上に慢性化してちょっとしたことで痛みがぶり返したりしてすごく厄介なんだ。
「後でちゃんと手当てしますから」
「今から出なきゃいけない競技でもあるのか? それにしたってその足じゃ無理だろ」
「無理でもいいんです」
「いいわけ無いだろ。ちゃんと理由を言わないと放してやらない」
やけにムキになる西森の言い方に引っかかる物を感じて、俺は西森の腕をがっしり掴んで引き留めた。
こいつも俺と一緒で意地っ張りだけど、こんな無茶な意地の張り方はしない奴だ。理由もなく強がったりはしないだろう。食い下がる俺に、西森は諦めたように肩を落とした。
「怪我をしたって知られるのが嫌なんです。あんな奴を喜ばせるのはシャクですから」
「あんな奴って……お前、まさか誰かにわざと突き飛ばされたのか?」
「証拠はありませんけどね。突き飛ばしてきたのは無許可の自転車通学を先生に見つかる前に止めろと忠告してやったのに聞かなくて、その後それがバレたのを俺がチクったと思って逆恨みしてた奴だったんですよ。落っこちた俺を見て笑ってやがりましたから、多分わざとでしょ」
日高も恨みを買いやすい立場だけど、そんな奴らは適当にあしらって上手く立ち回ってる。でも西森は言い方が歯に衣着せないというか、本当のことを直球で言っちゃうから恨みとかねたみを買いやすいっぽいんだよな。
俺は西森のそういう一本気なところが好きなんだけど、それを生意気に感じる奴がいるのも分かる。 ――実際生意気でもあるし。
でもだからって競技中に嫌がらせを、しかもこんな怪我をするようなひどいことをするなんて最低だ!
「誰だ、どこのどいつがやったんだ? 俺が締めてやる!」
「だから、証拠がないって言ってるでしょ。それに馬鹿に構うのは時間の無駄です」
ヒートアップする俺と裏腹に、冷静な西森の言葉にぐっと言葉に詰まる。
そうだ。証拠もないのに騒いだら西森が言いがかりをつけてると思われかねない。何より被害者の西森がいいって言ってるのに俺だけ騒ぐわけにもいかない。
「ああいう輩は反応すればするだけ喜んで嫌がらせを続けますからね。存在ごと無視してやるのがいいんですよ。何事もなかったようにしていたいんです。だから救護テントには行きません」
「でも、捻挫の応急処置は早ければ早いほどいいんだぞ」
「帰りに病院に行きますよ」
「この意地っ張り! 気持ちは分かるけど、今意地を張って怪我が長引けばそいつの思うつぼだろ」
「そんなこと気付かせやしませんよ」
こいつー。どこまで意地っ張りなんだ。捻挫は30分以内の手当が肝心なのに。これ以上ここで言い争ってても時間の無駄だ。
俺は強攻策に出ることにして―― と、言っても自分より10pほど背が高くて体格のいい西森を引きずって行く体力はないから、地面にしゃがみ込んだ。
「篠田先輩? どうしたんです」
「嫌な話しを聞いたから気分が悪くなった。救護テントまで連れてってくれ」
「……見え見えの手ですね。先輩は最後のリレーに出るんでしょ? いつまでも俺に構ってると出走できなくなりますよ?」
「救護テントに連れてってくれるまで動かない」
「いいですよ。俺は知りませんからね」
西森は踵を返すと俺を放って歩き出した。だけど俺はその場に座り込んだまま動かなかった。周りにいた他の生徒が地べたに座り込んでる俺を不審そうに見てるけど、俺は西森の背中をじっと見たまま動かない。俺だって意地っ張りに関しては負けてないからな。
30歩ほど歩いた辺りで西森は立ち止まり、俺の方を振り返った。俺は立ち上がらずに西森の方に手を伸ばす。
西森は溜息でもついてるのか軽く肩を落とすと、俺の方に戻ってきた。
「怪我人を無駄に歩かせないでください」
「救護テントに行かない奴は怪我人扱いしてやらない。大人しく救護テントに行こう」
「行きますから先輩は競技に出る準備に戻ってください。遅れますよ」
ようやく行く気になった西森に、俺は立ち上がってお尻に付いた砂を払った。
「まだ時間があるから大丈夫だよ。騎馬戦が終わってから集合だから、それまで付き合うよ」
西森を促してゆっくり歩き出す。本当は肩を貸したいところだけど、身長差があるから西森が俺の肩に手を回すと俺が西森に肩を抱かれてるみたいに見えるよな。
けどその方が俺の方が気分が悪いように見えるからちょうどいいかも。俺は西森の腕を肩に掛けた。
「もたれていいぞ」
「俺がもたれ掛かったら、篠田先輩つぶれちゃいますよ」
「うるさい。生意気言ってないでちゃんと掴まって歩け」
「はいはい」
口だけは元気な西森の腕を肩に担いで俯き加減に歩くと、俺達はそのまま救護テントへ向かった。
救護テントには何人かの生徒が運び込まれていた。
今日はもう9月だって言うのに真夏並みに暑いから、暑さにやられて体調を崩す生徒が多いみたいだ。
白衣の袖をまくり上げた、ごま塩頭の田村先生が忙しなくうろちょろしている。
テントには保健委員や救護係の生徒も居るけど、彼らにはちょっとした擦り傷の手当や具合の悪そうな子に付いて様子を見てやるくらいしか出来ないから、保健の先生は大忙しみたいだ。
「先生、氷ちょうだい。こいつ、捻挫してるみたいなんだ」
「そこのクーラーボックスにあるよ。アイスパックとテープもそこにあるから、君がやってくれるか?」
「うん、俺がするよ。ラバーパッドはある?」
「パッドはない。テープでやっといて」
「はーい」
保健の田村先生には部活で誰かが怪我をしたときにお世話になるんで、こんな感じで結構気さくに話せて話が通じるのも早い。
俺は捻挫の手当は慣れているから、忙しそうな田村先生に代わって俺が手当てしようと西森を座らせた。
「ほら、西森。そこの長椅子に足乗っけて座って。怪我した方の足は伸ばして足首だけ椅子の外に出すようにして」
「篠田先輩が手当てしてくれるんですか?」
「何だよ。これでも俺は陸上部1テーピングが上手いって言われてるんだ。心配するな」
驚いたように俺を見上げる西森を安心させるように言う。実際、俺をはじめうちの陸上部員は全員救急法の講習会をちゃんと受けてるんだから。
西森が座って靴と靴下を脱いでる間に、俺はアイスパックに氷を入れてテーピング用のテープも用意した。
準備がすむと、まずは西森の足元に膝を付いて足首の様子を見る。
「あーあ、もう腫れが上がって来ちゃってるじゃないか」
手当ての遅れた西森の足は、もう腫れが広がり始めてしまっていた。これは冷やすより先に圧迫してこれ以上腫れが広がらないようにしたほうがいいな。
「痛いだろ」
「それほど痛くはないですよ」
「こんだけ腫れて痛くないなら神経がどうにかなってるのかも。救急車呼ぼうか」
「……普通に痛いです」
強がりを言う西森をからかいながら、俺は腫れを止めるアンカーテープの位置を上目にホースシューも短めにして足の前を開けた形でテーピングをした。
「テーピングってもっとグルグル巻きにされるのかと思ってましたよ」
「腫れの逃げ場所を作っておかないと血管が詰まるからな。さて、次は治療だ」
俺は用意していたアイスパックを西森の足首にぴったりと当てた。
「冷たいっ。ちょっとタオルを当てるか何かしてもらえませんか? 直接当てたら冷たいじゃないですか」
「冷たくなくちゃ効果がないの。今我慢したら後がずっと楽なんだから、我慢しろ」
「篠田先輩ってば、意外とサディスト」
「そんな趣味はないよ。これが正しいアイシングの仕方なの」
文句を垂れる西森の足を冷やし続ける。
その間にグラウンドの真ん中ではタイヤ引きが始まった。周りの歓声が大きくなる。この次が騎馬戦で、ラストが俺の参加する学年合同リレー。一番盛り上がる、俺が一番楽しみにしてた競技だ。それまでは西森に付いていよう。
「どうだ? まだ冷たいか?」
「いえ、だんだんあったかくなってきましたよ」
「んじゃ、もうちょっとな。感覚が無くなるまで冷やすんだ」
「そんなに?」
「そんなに。感覚が無くなったらしばらく氷を外して感覚が戻るまで待つ。それからまた冷やすの。その繰り返し。これをはじめにしっかりやっておくと格段に治りが早いんだから」
不満そうな西森の頭をポンポンと軽く叩きながら撫でてなだめた。
「ありがとうございます」
「何だよ、あらたまって。気持ち悪いな」
「俺だって何かしてもらったらお礼くらい言いますよ」
やけに素直な西森の頭をそのまま撫でてやる。こいつの髪って癖があって硬そうなイメージなのに、触ると結構柔らかくって気持ちいいや。
西森も撫でられて気持ちがいいのか目を細める。少しでも痛みから気がそれればと、俺はそのまま西森の頭を撫でながら足を冷やし続けた。
「もう感覚が無くなったみたいです。冷たくも熱くもないです」
「大体15分ほどたったもんな。よし、いったん止めよう」
俺は西森の足首からアイスパックをいったん外した。感覚のない状態でこれ以上続けると凍傷になるから、これで少し様子を見てまた感覚が戻ってきたら冷やすんだ。
アイスパックを外すと西森の足はぱんぱんになって、どこがくるぶしだかも分からないほど腫れていた。
「お前、これは結構重症だぞ。患部を心臓より高い位置に持ってきた方がいいから、保健室に行って横になった方がいいな」
「保健室はいっぱいでしょ」
そうだな。後ろの長椅子にも横になってる生徒がいるくらいだから、保健室のベッドはもう満員なんだろう。
かといってここで西森に長椅子に寝ろって言っても、この意地っ張りはこんな人目のある場所じゃ絶対に横にならないだろう。
「大きな机をベッド代わりに出来ませんか」
どうするか考えあぐねていると、西森の方から提案してきた。なるほど、それはいいな。本人が言い出したんだから俺に異存はない。
「そうだな。1階にあって大きな机がある特別室と言えば家庭科室かな」
あそこは危険な物は何もないから普段から鍵なんて掛かってなくて入り放題だ。
「じゃあ俺は行ってきますから、先輩はそろそろ戻って下さい」
「バカ。こんな足のお前を放っていけるわけないだろ。黙って俺に付いてこい!」
「篠田先輩ってば、意外と亭主関白」
俺はバカなことを言う余裕だけはある西森に肩を貸しながら家庭科室に向かった。